これが自我?
いままで、なんか生きづらさを感じていた
誰に何を話しても、「正解」なんか帰ってこなかった
いまはそれに対してこう思う
「そりゃそうだ、自分の中で正解は作っていく」
社会の中にACとして「遊び」に出ていた私は
「社会」から抹殺に遭うまで「いのち」が分からなかった
今思えば、いつまで「自分を認めてない」状態でいたか
まあ、「否定」され育ってきて
そんな「私」を抱えたまま生きてきて
「私は私を」ほめていなかったのでそりゃつらいわけ
母親の愛情、とでもしておかないと
少し、母親という「存在」を認識し始めた私は
それが「母(という人)」であるとできる
感謝しかない
私を守り受け入れてもらった時
素敵な人生の階段
作ってくれて
私は「私」
進むことにしないと。
決めなきゃならないときはある
「選択」をしないと。
「現実」を進む。
早朝、兄に声をかけられカフェに行くことに
家を出る瞬間「家族」で出ることになった
いつも気になっていた
喧嘩「好きじゃない時間」の原因を突いて
少し、人間関係というものを理解できた
わが家族は好き好きがそれぞれで言いたいことを尊重する
自分を尊重する家族で
新しいことには疎い
そりゃバラバラですわ
家の設計は中央階段であって、
その通りになっているということだ。
ぬるま湯にいたからわからなかった
「社会」で生きていくには「術」が必要だと
Z世代とも呼ばれる人たちにもわかるだろう。
どうやって生きていくのか
「選択」を後回しにすることがどれだけの後悔を生むか。
でも、それは「タイミング」が来ないと進まない。
タイミングという名の発達段階へ。
他人の人生を生きていたことに気づいていたのに
それが生きづらさという違和感として
私には中学生の時からでてきていた
でも、いま、その「自立」のきっかけをくれたのは小学校の時。
母の愛(思い)(考え)による「私立幼稚園」への入園(教育)は
私という「いのち」にあてはめられるものではなかったのだ。
いわば呪い。「カルマ」か
うつ病・気分変調症・PTSD等
付き合っていかないといけない
病気なのだと思う。
現実ってつらいだな。
感情優位/思考優位
どちらにころんでも自分。
変わりながら 生きる を進んでいく。
今の私は
頭角を出しているような自分。
かき分けて進んで、暗い暗いトンネルをようやく、潜るスタート地点に立った。
先にあるのは光
それを信じる。
自立 か独立 かはわからないけれど、
自分の意識であることに変わりはない。
いいの、そんな自分もいい。
ただ、不安は、、オンオフの切り替えがうまくないこと。
自分の人生に自信と責任をもつ「自立」独立
↕
平和協調やさしさの愛
自分と相手の命を大切にすること。
いまはそんな生き方が好き。
苦しんでいる自分もゆるせ。
そういう時期は魂につきもの。
苦しみの多い人生を(時を)選んでもいいんだ。
自己を肯定。
自分を
作り出す 時もあっていい。
そのときの自分
避けたいものはなかったはずなのに
初めてそれがあると経験した。
素直に生きていることに、抵抗の打ちようなし
無理。
私にはまだね。
ただ、ひねくれてるのかな怒らせるのも楽しい。
他人の機嫌。
大切な人にそんな思い、、、
大切じゃないんだろうか。笑
大切にしてくれたこと、、
感情を寄せてくれたっけか。
だから、自分の幸せは自分でつくる。