Life is like a box of chocolates.
ホワイトチョコレートとピスタチオに洋梨のタルトを食べてみる。
想像したことない組み合わせだが、なるほど!と思う。
洋梨は、ざらざらしていない方の、するりとした舌触り。
ざらざらしているのかと思いきや、するりと喉越しがよい。
食べてみなければわからない意外な食感である。
経験してみて、想像と違うことはままある。
映画「フォレスト・ガンプ」のお母さんの言葉に、チョコレートの話があった。
大人なら、誰しも経験していることかも知れない。
今まで私が通ってきた道のりを考えても、まさかまさか、の仕事をしている。
親が大学生の時に他界するなんて思ってもみなかったし、もう一人の親が50代で植物状態になるなんて、考えてもみなかった。
続ける気持ちでいた仕事を辞めて看病するなんて予想外だったし、疾患があって産めないと思っていた子どもを授かるという幸せもあった。
まずは、戦禍のない時代の日本に生きてこられたこと自体がありがたいことだ。
人生は、どんなきっかけで変化して行くのか、転機とはどのようなものなのかを傍観したくて、今の仕事に巡り合い、続けているようなところがある。
また、転機を招く人の心持ちや、運について。
肌感覚で感じる『幸せ』というもの。
もともと、幸せを感じているならそれに越したことはないが、今尚、それに巡り会うためにもがいている人が大勢いることを知るために、日々、通勤している気がする。
暴力、虐待、自殺・・・その他の凶悪なことは、本当は見たくない。
あまりに衝撃が強いと、私自身に頭痛や不眠その他の症状が出て、適応障害と診断される時期もあった。
それでも、人間を観察することが辞められないのは、一体どうしたものだろう。
知らず知らずのうちに幸せの波動を感じ取っている人は、周りの人も幸せにできる人だ。
辛い中、苦しい中にあるとして、混沌の中の何に着目して何を拾うのか。
その後にとても大きい影響があると思っている。
明日のことなどわからない世の中だ。
人からの評価も、そんなものは関係ない。
自分が大好きなことを毎日、思い切りできること。
好きなことを選んで行動していれば、辿り着く道があること。
挑戦しなければ、何も始まらない。
悲しみをどんどん掘ってしまう人の話を聞いていると、逆説的に気がつくことがあるのが不思議だ。
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。