学芸会の英雄へ、奇妙な大学士より ~場面緘黙にとっての演劇~
開かれた卒業アルバムの寄せ書きページは白紙だった。
ムニさんは表情ひとつ変えず、広々としたページの右ななめ上あたりに、青ペンで迷いなく文字をつづっていく。
“お世話になりました!”
まっしろなページに書かれた、誠実さと生真面目さが伝わる、まっすぐな文字。
私の卒業アルバムには、ムニさん以外に誰も寄せ書きを書いてくれなかった。
ムニさんから手渡されたアルバムの同じページは、色とりどりのメッセージやハートマーク、漫画のキャラクターのイラストで満ぱいなのに。
私は窮屈なページの隅に黒ペンでちいさく、「いつも助けてくれてありがとうございました」と書き、無言でアルバムを返す。
ムニさんはいつものように口角を少し上げ、「ん、どうも」と受け取り、私が書いた文字をたしかめ始めた。
”お世話になりました!“
あなたをお世話したことなんかない。
お世話はたくさんされた。
けれど、嫌味でも皮肉でもなく「お世話になりました」と書いたムニさんの謙虚さに、スクールカースト最下位の私はいたたまれない。
そもそも、あなたと同じ空間にいること自体がいたたまれないのだ。ムニさんが貧弱な黒文字をたしかめている隙に、私は目を伏せて、騒々しい6年1組の教室に背中をむける。
地元の公立中学校に進学するムニさんとも、他のクラスメイトたちとも、明日からはもう会わない。
陰鬱な青空が広がる午後、私は窓から入り込むなまぬるい春風とともに小学校の教室を去った。
体育館にて「学芸会の英雄」
場面緘黙(ばめんかんもく)だった私は、小学校の6年間を無言で過ごした。場面緘黙は、自宅のように落ち着ける場所では話せても、学校や職場など特定の場所でだけ、言葉が出てこなくなる症状だ。
不安を感じやすい気質の人が発症する傾向があるらしく、発症者は500人に1人程度※1と言われている。
私の場合、小学校入学の日から、教室という空間で先生やクラスメイトの視線を浴びるなか、どうしても声が出なかった。誰とも口を利かず、返事はうなずいて肯定するか、首を横に振り否定するだけで済ませる。イタズラの犯人にされても自己主張できず、謝罪を要求されるのは日常茶飯事だ。
積み重なる誤解によって、日々心が1つずつ死んでいった。毎日、毎日、誰とも口を利かずに。心を殺しながら、長い6年間を過ごした。
小学校5年のある日。学年全員が体育館に集まり、冷たい床におしりをついて座りながら、学芸会の配役オーディションを見ていた。
今年の演目は、ある少年が未来にタイムスリップして、仲間とともに世界を救うお話である。
「あいつ、何もできないから、演技しても相当ヘタなんだろうな」
勉強も運動もできないばかりか、人並みにしゃべることさえできない私に対する陰口が、ヒソヒソと耳の奥をつついた。
2年おきに行われる学芸会では、全員が何らかの役を演じて、最低一言はセリフを言わなければならない。
しかし私は、国語の音読も先生に代読してもらっていたし、「学芸会だって話せないからどうしようもない」と、希望の役を書くプリントは白紙のまま提出した。過去の公演では、比較的おとなしめの子たちが演じる群衆役に、さりげなく混ぜてもらっていたので、今年もそのつもりだった。
脇役たちのオーディション中、私はオーディションに参加しない自分への陰口が聞こえていないフリをしながら、舞台上でハキハキとセリフを言う同級生たちを、通販番組の視聴者のようにぼんやりと眺めていた。各キャラクターのオーディションが終わるたびに、その役にふさわしいと思う人の名前を、手元にある紙に書いていく。
希望の役をつかむために頬を紅潮させ、瞳をランランときらめかせるクラスメイトたちが、少しうらやましかった。自分も思い切り演じられたらいいのに。
その気持ちはたしかにあったのだ。
でも、いざ話そうと思うと、なぜか声が喉に詰まり、全身から冷汗がふき出て、両手足は小刻みに震え、発作が起きそうになる。
何がそんなに不安なのか分からない。けれど、当時の自分にとって、「しゃべる」という行為がもたらす結果は最悪のものとしか思えなかった。
もし声を出したとしても「あいつ、あんなに変な声だったんだ」「だんまりだった理由が分かったよ、キッショ」と言われるに違いない。
そんな未来予想図があざやかに脳裏に展開されるなかで、何も言えずに5年が過ぎ、クラスメイトは誰一人、今も私の声を知らないままだ。
脇役たちのオーディションが終わり、いよいよ主人公の少年役のオーディションになった。主人公役だけは誰も立候補していない様子だったので、どうするのか、誰もが緊張した面持ちで周囲を見回していた。
主人公は当然セリフが多く、剣を持って戦う大立回りのシーンまであり、学芸会とは思えないほど求められる演技力が高い。
男子たちは、内心ではヒーローポジションにあこがれていたのだろうが、誰も主人公役に立候補しなかった様子だ。長いセリフを真面目に覚えるのは、反抗期の彼らには照れくさく、面倒くさかったのだろう。
そもそもこんなかっこいい役にふさわしい英雄が、このさびれた体育館のどこにいるのだろうか。そんな空気が漂うなか、たった1人、主人公役に立候補した子がいると判明した。その子は、淡々と舞台に上がった。
ムニさんだ。
え、え……? まさかの女子。
誰もが息をのんだ。
ムニさんは今年、別の小学校からやって来た転校生だった。しろいほっぺをつかむとムニムニしているので、女子たちは「ムニ」と呼んでいる。
成績が抜群に良く、運動会ではリレーの選手たちのなかで先頭を走り、音楽発表会では花形の木琴奏者として活躍。開校以来の逸材として、同級生だけでなく、先生たちも一目置く存在だった。
本人はその有能さを鼻にかけず、いつも淡々としていた。決して冷たい印象はなく、むしろ優しく穏やかな人だが、すべての動きに隙がない。動作1つひとつが「淡々と」という形容にふさわしいのだ。
少女漫画によく登場する「才色兼備の生徒会長」のように、華やさと嫌味な印象が混在する人ではなく、謙虚に知的だった。
誰かに話しかけるときは、口角をきゅっと上げて、つぶらな瞳でまっすぐにこちらを見つめ、誠実に会話をする。面白いことがあると、他の子と同様、両手を叩いてむじゃきに笑った。
要は、人柄・学力・運動神経・手先の器用さのどれを取っても完璧な人である。
主人公役を射止めるため、舞台に上がったムニさんは、表情ひとつ変えなかった。中学校の数学まで理解しながらも、いつも真剣に算数の授業で黒板を見つめているときと同じように。真綿のような顔を赤らめもせず、息をすぅと吸った後、主人公の少年の長ゼリフを体育館全体に響き渡らせた。
どよめいた同級生たちは一瞬ののち口をつぐみ、彼女の発する引力に従って身を乗り出した。長いセリフをよどみなく話す力量はもちろん、感情を込める箇所への適度な力の入れ方、話し相手がいるシーンであることを想定して取る間合いも見事だ。
オーディション結果は言うまでもない。
この日、ムニさんは英雄になった。
「ムニ、演技うまいんだね! びっくりしたよ~」
何でもできるムニさんの「主演俳優」という新たな一面を目撃したクラスメイトたちは、その日から彼女を取り囲んで、休み時間にも自主的に劇の練習を始めた。
ムニさんの名演に刺激を受けたのか、気恥ずかしさからやる気を見せなかった男子たちも、負けじとセリフを覚え始めた。
私は最後に登場する群衆の1人に混ぜてもらい、音響も兼任することになった。ピアノやシンバルで効果音を担当するのは案外楽しい。教室では「よどんだ空気」のような、存在価値がない自分。
でも音響係をしている間だけは、場の支配権を握ることができる。私が発する音に合わせて、クラスメイトたちが舞台上で回ったり転んだりするのが面白いのだ。無理やり群衆に混ぜてもらわなくても、音響だけできればいいのに。
座長のムニさん以下、クラスメイトたちはメキメキと演技力を高めていき、リハーサルはすばらしい完成度だった。たった1人私だけは、エンディングになってからイヤイヤ舞台の下手端に立ち、最前列に立つスター俳優たちの後頭部を眺めていた。最後のお辞儀だけは、みんなと息を合わせて。
学芸会が幕を開けた。
悪の組織に支配された地球を救うため、ムニさん演じる少年が召喚される。逃げ惑う群衆の叫び、鳴り響く剣撃。ヒロインの少女戦士は戦いの末に討ち死にする。
当初怖気づいていた主人公は、ヒロインの想いを引き継ぐため、彼女の剣を手に取り立ち上がる。「ぼくに着いてきて!」と剣を片手に、仲間を鼓舞するムニさんの姿は、アーサー王のように勇ましく、神々しかった。
私はというと、電子ピアノで斬撃の効果音を鳴らすたびに人が死んでいくのが面白く、悪役の一派として世界を征服したような感覚に酔っていた。このまま、ムニさんアーサー王に刺し殺されたほうがマシだと思いつつ、エンディングだけはイヤイヤ最後列の下手端に立ち、お辞儀をする。全校生徒だけでなく、先生も保護者も胸打たれた様子で、体育館には万雷の拍手がいつまでも鳴り響いていた。
小学校5年の新学期に転校してきて、卒業するまでの2年間、ムニさんは理想的な人格者としての責務を全うした。
学芸会で主人公を演じ、作文コンテストでは役所から表彰され、成績1位をキープ。
私はというと「いい加減しゃべれよ、うざいんだよ」とカーストトップのクラスメイトたちから疎んじられ、ランニング大会では派手に転んで男子たちに嘲笑された。算数はそれなりに頑張ったけれど、習熟度のクラスは下から数えたほうが早かった。
それでもムニさんは、相手にする価値もない私にさえ、いつも優しい。それは、庇護者目線の押し付けがましい優等生的な優しさではなく、対等なクラスメイトとしてのごく自然な優しさだった。
卒業式の日も「普通に話せるクラスメイトたち」と同じように、私に卒業アルバムを手渡して、寄せ書きの交換に誘ってくれた。6年間、自分の意思を示せなかった私は、寄せ書きを通して、ムニさんにだけは本音を伝えることができた。それも、彼女が意思表明の場を提供してくれたおかげである。結局、最後まで何も彼女に還元できなかったのだ。
私は中学受験で唯一合格した女子校に入学した。新たなクラスメイトたちは全員が初対面で、私がしゃべらない子だと認識していない。入学式直後に教室で担任の先生が出席を取ったとき、名前を呼ばれた私は「はい」と返事ができた。緊張に震える声は、臨終直前のかすれた喉の響きにも聞こえるほどかぼそかったけれど、とにかく声を出せたのだから上出来だ。
私は、普通のしゃべる子になった。
クリスマスの小劇場にて「奇妙な大学士」
「そこの突起をこわさないように、スコップを使いたまえ、スコップを。おっと、も少し遠くから掘って」
「いけない、いけない、なぜそんな乱暴をするんだ」
2018年12月25日。
20代フリーターの私は、アマチュア劇団のちいさな公演の舞台に立っていた。
作業着姿に瓶底メガネと帽子という、あきらかに狂気的な扮装をして。声をはり上げながら演じるのは、『銀河鉄道の夜』の大学士である。
本当は、タイタニック号の沈没事故で死に、ジョバンニたちと銀河鉄道に乗り合わせる青年役がよかったのだけれど。スタイル抜群なバレエダンサーの団員が、どうしても同じ役をやりたがったので、譲ったのだ。
「英雄ムニさん」に近い男役を演じたかったものの、こういった二枚目の役はプロダンサーの美女が演じるほうがサマになる。いいんだ、これで。
三枚目の脇役で構わないから、とにかく演じたかった。大仰に両手を広げ、いくつも並べられた小道具のイスの間をぬうように歩き回りながら、この奇妙な学者きどりの男を、全身全霊で演じ切る。
時おり脳裏に響くのは、クラスメイトの声。
「あいつ、何もできないから、演技しても相当ヘタなんだろうな」
もう演技ができない自分じゃない。「ただしゃべれるようになっただけ」でなく、人前で別の人間を演じることまでできるようになったと証明したい。
「ムニ、演技うまいんだね! びっくりしたよ~」
彼女に敵わないことは分かっている。でも、せめてあの頃の自分には打ち勝ちたい。自分から行動しなければ、みじめな自分のままだから。
たったワンシーンの出番ながら、私は興奮していた。
舞台に立っている。観客がみんな、私の一挙手一投足を見つめている。汗だくの頭のなかはあくまで冷静に回っており、セリフは一切間違えなかった。一方で、全身の肌や毛穴、血管、ゆるんで戻らない頬の筋肉は、たしかな恍惚感に浸っていた。
ジョバンニとカムパネルラを見送った後、退場した大学士はカーテンコールまで出番がなく、狭い小屋の舞台裏で息をひそめるしかない。たったワンシーンの出番。それでも、「演じられない・しゃべれない自分」の呪縛から解放された。もう劣等意識を抱える必要はない。
「演技うまいね……びっくりしちゃった!」
その一言で我に返り、口に含んだばかりのピーチティーをあやうく吐き出しそうになった。
一大イベントである公演が無事に終わり、私は総勢10名の劇団の一員として、都内のカジュアルダイニングで打ち上げに参加していた。
クリスマスソングがかかる店内には、暖色のライトがあたたかく降り注いでいる。長方形の大きな窓からは、赤と緑とオレンジのイルミネーションに彩られた街を、マフラーにあごをうずめるカップルが、楽しげに行きかっているのが見えた。
「演技うまいね」と言ってくれたのは、車掌や乗客など、あらゆる脇役をマルチにこなしてくれたプロの舞台役者だ。
小劇場で活動する彼女は、マンネリ化をふせぐため、自己研鑽のつもりでアマチュア演劇の稽古で基礎を学びなおしているのだという。演技未経験の私にとって初舞台となる今回の稽古でも、率先してアドバイスをくれた。
そういえば2つ隣の席で笑いながら、フォークにボロネーゼをからませている青年役の美女も、プロダンサーだよな。表現のプロがこんなにいる環境って、もはやアマチュア劇団ではない気がする。
「未経験歓迎」というサイトの文字を信頼して入団したばかりのフリーターの私は、どうも肩身が狭かった。でも入ってしまったからには、学芸会を含めても演技未経験ながら、真摯に演じることで認めてもらうしかない。
だから、プロの舞台役者からお世辞でも(あくまで「素人の初舞台にしては」という意味でも)「演技うまいね」と言われたことで、心は勝利感に満たされていた。
いや、満たされている場合ではない。普通の人間は、こういうときお礼を言うんだ。目を半月型に細めて笑うんだよな。あと、口角も上げなければ。
「ありがとうございます。みなさんのご指導のおかげです」
ごく自然に見えるように顔をほころばせて、声の震えを抑えながらお礼を言った。
バイトの休憩中に更衣室でセリフを覚えるなど、並々ならぬ努力をしたのだから、ある程度うまくなかったらおかしいだろ。
と思いつつ、「こんなヘタな私でよければ、また公演に出させてください。精進します」と付け加えるのも忘れずに。
彼女は私の目を見つめた後、ニッコリして「うん、ポテンシャルあるよ~。芝居、本格的に勉強してみたら?」と背中をぽふぽふ叩いてくれた。
正直、芝居はもういい。向いていないことは分かっていたのに、20代でわざわざ劇団に入ったのは、「あの頃の自分」を殺したかっただけだ。
今日、私は何かの役になり切って、人前で堂々とセリフを言った。学芸会のときは金魚のフンみたいにクラスメイトたちの後ろにくっ付いていたが、今はもう彼らと同格の金魚を名乗っていいだろう。
プロの役者からの褒め言葉は素直に嬉しかったが、何よりも、自分が普通の人間として、誰かと普通の会話ができたことが嬉しい。都度、「普通の人間はこうするんだ」と次の行動を考えてから動くので、周囲より行動がワンテンポ遅れるのは厄介だが。
でも、百貨店のバイトでも流れるようにお客様を誘導したり、ポイントカードの登録を促して新規顧客を獲得したりできるようになってきている。少しずつ「普通の人間としての瞬間」を積み重ねていき、「場面緘黙当事者という異質な存在としての自分」を消し去りつつあるのだ。
右ななめ上の余白に
26歳になる手前でフリーター用の就職エージェントを使い、ちいさなIT企業に就職した。私はここで働いた経験によって、リサーチストーキングという特殊能力を身に付けた。
インターネット上で小学校時代の知り合いが現在何をしているのか、「適当なキーワード」とともに検索して突き止め、「ふぅん」と思うことである。
多くのクラスメイトを中傷することに喜びを感じていた男子は、中学校で別の地区に転校して中傷される側になっていた。
私の出来の悪さにイラついていた、勉強が得意な男子は、私より偏差値が低い大学に進学していた。
たぶん、こういう事実を知って、今の自分がクラスの誰よりもしあわせになったと思い込みたかったのだろう。しかし何人かの「その後」を見たら、ストーカーと変わらない自分への気持ち悪さと虚しさが強烈だったので、すぐにやめた。
でも。
最後に1人だけ。
「誰よりも優秀な学歴と職歴を持っているのだろう」という予想をたしかめるだけのつもりで、スマホを開き、ムニさんの名前を検索窓に打ち込んだ。
予想は当たっていた。当たりすぎていた。誰よりも頭のいい大学を早期卒業し、演劇を通じた社会貢献活動に邁進していた。
ムニさん、私も演技をできるようになったよ。話もできるようになったよ。
小学校最後の運動会で、お弁当を一緒に食べる友だちがいないとき、「こんにちは。一緒に食べてくれる?」と、下から目線でグループに誘ってくれたムニさん。あまりにうつくしい優しさに衝撃を受けて動けず、うなずくこともできずに、あなたを無視してトイレに駆け込んだことが悔やまれる。
休み時間に誰とも遊ばず教室に1人だけ残って本を読んでいたら、1週間に1~2回は、教室に残って勉強していたムニさん。
そんな日は、他の子たちから「は~い、孤立~」と指をさされずに済んだ。
「ありがとう」
「感謝しています」
なんて言葉は薄っぺらだ。
あたたかく、透き通るような希望をくれたあなたに、なんと言葉をかけるべきか、まだまとめることができない。
IT企業をやめて独立した私は、仕事の資料集めのため、母校の小学校に併設された公立図書室を利用している。
小学校という地獄に再び足を踏み入れても正気を保てているのは、バッグにお守り代わりのメモ帳を入れているからだ。
そこには、ムニさんに伝えたいことをつづっている。胸糞の悪くなる記憶がよみがえっても、メモ帳を開くことで、彼女のような存在があることを自分に言い聞かせれば、希望が見えて落ち着いてくるのだ。
またメモ帳には、いつか街中で彼女に再会したとき、うまく感謝を伝えるための台本としての役割もある。焦りと緊張で言葉に詰まっても、最悪、ページを開いて見せればいい。
これだと、また場面緘黙に逆戻りだ。でも正直、今になって思うのは「うまく話せないときは筆談でいいではないか」ということ。場面緘黙の人も、そうでない人も、話したいときは話して、話したくないときは文字やジェスチャーでいい。
ただ、場面緘黙の人は不安や焦りを感じやすいので、文字やジェスチャーすら難しいこともある。そんなときはうまく反応できるまで、周りはちょっとだけ待っていればいい。みんなのことが嫌いなわけじゃないから。気持ちが落ち着いたら、かならず何かの意思を伝えるはずだから。
場面緘黙の人はみんなの敵じゃない。うまくコミュニケーションを取る方法さえあれば、必ず分かり合えるから、お互いを信じて行動できたら理想的だろう。
演劇活動だって、無理にする必要はないのだ。話したくもないのに、無理やりセリフを言わせようとさせられたら、演劇自体が嫌いになってしまいかねない。セリフのない役や裏方などで、しゃべらなくても役割は果たせる。
もちろん、そう思えているのは、今は自分が「演じられる側」になれたからだ。
場面緘黙当事者としての感覚が遠のきつつあるからこそ、自分の負の側面を肯定できるようになっただけだ。
それでも、今、声を大にして言いたい。「演劇は多様な芸術であり、声の大きさや、姿かたちに関係なく、役割を果たせるものなのだ」と。
言うは易し。自分でも「理想論をぶちまけている」と思う。およそ500人に1人のしゃべらない人のために、499人が「なんでいっつも配慮してやらなきゃならないの」と主張したくなるのは当然だ。
でも、本当に、しゃべらない人は、周囲の人に敵意があるわけではない。うまくコミュニケーションを取りたいし、友人だって欲しい。みんなと同じバラエティ番組や漫画が好きで、推しのアイドルやアニメキャラクターについて語り合いたいのだ。
私も「お前うざい。しゃべれよ」と言ってきた子と、同じドラマが好きだった。
「この人は、自分と同じだ」
そう思えたときが、分かり合うための第一歩である。それには「しゃべらない人=異常者」という差別的な認識をしようとする脳みその動きを、いったんストップさせる必要がある。
どのような人間の内面にも、「自分とは違う」と直感的に思える相手に対して差別意識があるわけだが、少なくともムニさんは、決して態度に示さない。
身体的な特徴や、独特な動きなどから、自分とは違うと感じる存在を見たとき、人は「あ」と思う。
ムニさんの場合、そこで高度な脳みその動きをいったん停止させ、「この人は自分と同じだ」と言い聞かせるに違いない。
これは、
「あの人は、なぜしゃべらないんだろう」
「どんな気持ちなんだろう」
などと、普段からあらゆる物事に問いを発しながら考え、相手の気持ちを理解することができる人の共通点だと思う。
結果的に、いざ別世界にいるように思える人を目にした際には、自分の友人と同じように思いやることが、自然にできるのだろう。
今、街中で私を認識したとしても、「小学校でしゃべらなかった子」としては扱わないはずだ。私が普通に話している姿を見たら、笑顔で「おひさしぶり!」と言ってくれるに違いない。
卒業アルバムの寄せ書きページの右上に残る、まっすぐな文字。
今度は私から「サインをお願いできますか?」と声に出せるよう、練習しておこう。
自分より明らかに優秀な存在に対して、「あの人は勝ち組だから、本心では私を憐れんでいるのかもな」などと卑屈に考える必要はない。
相手が喜びそうな言葉を考えながら、どんな再会の仕方が理想的なのか、思考を巡らせていこう。
そしていざ対面した際には、余計なことは考えず、淡々と、誠実に接することができればいい。
伝えたいことがいっぱいにつづられた、真っ黒なメモ帳を開いて見せながら。