私の監獄日記⑫
これはわたしの実体験を記録したものです。
犯罪を誘発する目的ではなく、あくまでも私のような人を減らしたいと思い公開しています。
身バレ防止のため地名や細かい内容は曖昧にしています。
誹謗中傷のコメントは削除させて頂きます。
内容に関して、私自身のことについてはお答えできかねます。
拙い文章ですが読んでいただけると幸いです。
〜検事最終取り調べ〜
この日は午前中に刑事の取り調べがあり、午後から検察庁でした。
検事から急遽頼まれた調書を作成し、最後の検事調べに臨みました。
前回よりは冷静な感じで特に追求されることもなく取り調べは1時間ほどで終わりました。
最後に、‘起訴する予定なので裁判まで体に気をつけて過ごしてください‘と言われ、まだここでの生活は続くのだなと感じました。
また、私には余罪があったためその取り調べも行われるようです。
終わりがいつになるかはわからない、、、けれど終わりはいつか来るのだと信じて生活して行くしかないのだと覚悟を決めました。
その日は同じ留置場から来た精神的に問題のある容疑者と一緒だったため、なかなかその人の取り調べが終わらず、19時半まで検察庁で待っていました。
決められた迎えの車も出払っており、待っているしかありませんでした。
留置場に着いたのは20時過ぎのため別室でご飯を食べました。
次の日、弁護士先生が接見にきてくれました。
勾留満期日までに起訴状が届き、届き次第接見禁止が取れると教えて下さいました。
両親や彼と直接やりとりできるのが嬉しく、嫌なことですが起訴状が届くのが待ち遠しかったです。
また、執行猶予だけだは難しいとも言われました。
覚悟はしていたつもりでも、直接言われるとショックでした。
また、最初の接見でこの件が最初ではなく、他にも加担したことがあると言っていたはずなのに、弁護士先生が誤解していたのか聞いていた話と違うと、怒られてしまいました。
私は、刑事事件やこういった手続きも初めてです。
全て教えてもらわなければ何もわかりません。
弁護方針や今後の流れ、取り調べで何を言ってはいけないのか、などアドバイスが欲しかったのに、何も言ってくれなかったのは先生でした。
なのに私が間違っていると責められ、先生を信じることができなくなりました。
素直に自分のしたことを話した方が刑事や検察の印象が良くなると言っていたはずなのに、なぜこんなことを言われてしまうのか、、、
弁護士を変えようと思っても私には知り合いもいませんし、お金もありません。
これからも先生の指示に従うしかありませんでした。
国選の弁護士で、私選よりお金がもらえなかったとしても、被疑者にとっては唯一の味方で大事な存在です。
自分の将来がどうなるのかが決まるのも弁護士先生にかかっています。
長い間、弁護を担当してくださり、感謝もしていますがあの時違う判断をしていれば3年より早く帰って来れたのかもしれない、、、
そう思わなかった日はありません。
起訴状が届くと両親や彼からの手紙を渡されました。
読んで涙が止まりませんでした。
次回は取り調べの続きに関して投稿します。
※今回、弁護士の愚痴のようになってしまいすみません。