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うにくまが偏愛でおおくりする、ファッションの魅力

はろ〜はろ〜
うにくまでーす!(ででーん)

先日の台風では、雨が止んだ頃に夜の予定に向けてよいせ!っとお外に出たら数秒でどしゃぶりになりました。

やるやん、台風〜!!!

実はいま、"ファッションとテクノロジー界隈の分断を肌で感じております"という記事を執筆中なのですが、合間にちょっとした読み物を!と考え投稿です。

過去のマーケやものづくりの視点についてはTopseller.styleの方でかなり書いているのですが、わたしがなぜファッションが好きなのかをあまり文字に起こしたことがありませんでした。

などと言ったりしている一方で、

あんまりエモーショナルな文章は、共感を生むけれど誰かの実用にはならないこともあるかもな〜と思う部分があったからなのですが、

多分わたしが書いてもそんなにエモーショナルな感じにならんな?

ということに気がついたのでした〜

はい、元気にいってみよ〜!!

意思を持って服を選ぶたのしさ


くまになってしまった...とはいえ、わたしはわたしに課していることがあって、

何になっても(?)どんなことがあっても、意思を持って生きるのだ!

ということ。

お利口なわけでもなし、
一流大学を出たわけでもなし、
美貌を兼ね備えたわけでもなし。

それでも意思と行動をきちんと結びつけること。

つまりは内面と外側をちゃんと紐づけること。

見た目で人を判断してはいけないよ、というのは、よおおおくわかっているし、いわゆる服がオシャレじゃないからdisるってことをするタイプではないのは、Twitterの友人達も証明してくれる気がします。

でも、どんな服を着ているか人から見られたくないと思っていても、じつはきっと誰しもが他人の外側をよく見ている。

人は見た目が8割?9割?何割だったか忘れちゃったんですが、そういう本もありますし。

たぶんそれって脅しでもなんでもなくて、その人の内面の一番外側が、"見た目"だし、見た目で判断しないというのはなかなかのエスパーじゃないと無理ですよね。

内面と外面はやはり結びついて、ある程度仮説(先入観ともいう)をうみます。

※人を見た目でdisらないは大変大切!

今日のタスクや、気持ちや、1日に向かっていく意思を、服・靴やアクセサリーが補強してくれて、起こしたい行動や出したい結果へ一緒に踏み出してくれる。

逆に考えると、起こしたい行動や出したい結果、こんな気持ちで過ごしたいというのを自分で決めてコントロールするために、意思を持って服を選ぶ。

わたしにとってはそういう意味があるんです。


文化・歴史・経済・・・いろんなものが絡まるたのしさ


楽しいって思ってもらいたいし、
ワクワクしてもらいたい。

そのために私たち作り手は、いろんな種類のドアノブを用意しないといけない。

ファッションへの入口のドアにつける、ドアノブ。

すでにその部屋の中にいる誰かに開けてもらわないといけないような、反対面にしかドアノブがない扉ではだめ。

「かわいい」のドアノブがあってもいいし、「面白いテクノロジー」のドアノブであっても、もちろんいい。

ファッションの世界へ踏み込む理由は様々あってしかるべき。

私も最初は、あるショップとの出会いから始まり、ラグジュアリーの世界に、手仕事のプロたちの心意気に、どっぷり浸かっていろんなものを見て。

でも、最終的に「なんて面白いんだろう」と思ったのは、マーケティングや事業経営のドアを開けてからなんです。

西洋の歴史に始まり、過去から今までいつだって社会の動きに影響を受けてきたファッション。

進化とも退化とも取れないその変化は、常に経済や国の情勢、世界情勢、世の中の人たちの価値観・・・そういうものに揺さぶられて続いてきている。

女性の社会進出というのはこの21世紀でも語られることだけれど、

女性をコルセットから解放し、締め付けないジャージー素材のドレスや馬にまたがれるパンツルック(貴婦人は馬にまたがるなんてとんでもない!横乗りであーる)、豊満な女性よりも、スリムな女性の方が美しいという現在に近い価値観を打ち立てたその立役者と言われる代表が、かの有名なシャネルだし、

ポールポワレは「シャネルが女性たちを栄養不足の電信柱に変えてしまった」と言ったけど、シャネルは「奴隷が自分たちのハーレムから脱出しただけでしょう」と。おおう、どっちも上手いこと言いますね。

これは序の口で掘っても掘っても知らないことが出てくる。

お、おもしろ〜!!!

こんな風に社会の煽りを受けるということは、やっぱり私を含めたこれを読んでいる皆さんの価値観や、それをひっくり返して主流となっていくような革新的な考え方とか、いろんなものに左右され、まるで未知数の可能性を持っている。

つまり大げさに言えば全員参加型。

明日を見て、過去を見て、今を見て。

そういうことができると、今起きているファッションとテクノロジーの関わりを見ていてもぐっと面白さが増す。

それを身を以て知ってからというもの、ファッションへの興味は計り知れない。

時代の流れや今の価値観と過去のものとの組み合わせ、掛け合わせ・・・

知っていないから楽しい装いもあれば、知っているから楽しめるものもある。


他人(ひと)のパワーを借りる、たのしさ


"デザイナーズブランド"という括りがある。

いわゆるデザイナーが前に立って、社会の動きや自分の解釈を服をもって表現したり、それが奇抜なショーとして眼に映る、あれ。

彼らはそれぞれ個性があって、ビジネスライクにディレクションやデザインをする人もいれば、自らが表現者のようにコレクションを発表する人もいる。

コレクションひとつをとっても、バックステージで怒号が飛ぶこともあれば、穏やかな会話の中過酷なスケジュールがこなされることもある。

トップデザイナーや作り手たちは表現こそ違えど、やはり一様にしてパワーがある。

西洋のその人たちは、自分たちの先祖が脈々と受け継いできた洋装の文化やその系譜から枝別れた美意識を基盤に、系譜と新しさの両方をもって一季一季のシーズンに望む。

日本では洋装文化はもちろん、DCブランドブームからまだ年月は浅い。それでも、いわゆる"気質"が出た服が多く発表されるようになってきた。

私にとって服を身にまとう時、それはそのブランド(作り手)の思想を、パワーを借りることに近い

そのパワーを借りる時に、私は作り手に敬意をもってその背景や女性像への理解を深めようと努力する。これが二段落目の面白さにつながる。

なかなかその女性像になりきることは、難しいけれど。

この服は因数分解すると、どんな要素が組み合わされているのか。

デザイナーや作り手の意図、そのパーソナルな部分を解剖する。

そんな風に人を知るのが面白いことは、多分よくよく知っている。

それはSNSをやっていると特に感じることだけど、ポジショントークだったとしても、ツイートを読み返すと滲み出てしまう何かが面白い。

人のパーソナルな部分は、面白いのだ。


自分を見つめる、楽しさ


そして私は、パワーをくれる服に出会えた時、それはその人にとってただの"服"ではなくなる瞬間をたくさん見てきた。

全く服に興味がない、選ぶのが面倒臭いという人が、最初は言われるがまま着ていたのに、どんどん「こんな格好がしたい」と伝えてくれるようになったり、

「安くてそこそこの服でいい」と言っていた人も、より本人の人格や望むライフスタイルがを反映したようなテイストの服を1セット提案してあげてから「それはそれ。これはこれ」とポイントポイントで一緒に買い物に行くようになったり。

私はパーソナルスタイリストではないから、ただの友人Aとして付き添い、帰りにごはんやパフェをごちそうになったり(うにくま用語:餌付け)して終わるんだけれど、その服がハイブランドでなかったとしても「服がパワーをくれる瞬間」を感じた人はみんな、次、またその次とチャレンジングになっていく。

感じた魅力はそれぞれでも、「なんかちがうんだよね」と口々に言う。

こうやって楽しく服を選んでくれる人が増えることは、私がこの業界にい続ける理由でもあるし、仕事になっていなかったとしても単純に嬉しい。

朝玄関の鏡や電車の窓に映る自分を見て感じる「今日ちょっといつもよりいいな」というポジティブな変化は、確実にその日一日に影響を及ぼすはず。

先述の話に戻るようだけど、そういう体験をすると、自分の求める内側と外側をすり合わせていくし、"自分"をより客観視する時間が始まる。

これはなんか違う。とか

ふと、飽きてきたな。と感じたり、自分の外側の変化に敏感になります。

だからなのか、服を選ぶようになると、次に皆さん言うんですよ。

「大きな鏡を買いたいんだけど、うにくまはどこの買ってるの?」って。

自分の姿を客観的に見ようとする、そういう心の動きなのかな。と思うんです。


#fashion #ライフスタイル #偏愛 #ファッション


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