赤褌の私には、着たい服がない。
着たい服がない。
駅にもスーパーにも通販サイトにも、目につくあらゆるところに服服服。
家の中だって、玄関にも寝室にもリビングにも、春夏秋冬対応できるいろんな種類の服服服。
私の目にするあらゆる世界には服が溢れているはずなのに、着たい服はどこにもない。
ある時期から、そんなふうに思うようになった。
何を着るかという選択は、自分を何と定義するかと直結してると思ってる。ここでいう「着る」はコスチューム的な限定的に纏う衣装で瞬間的に意識を変容させるような意味ではなくて、パンツとか靴下、冬の間毎日着るコートみたいな、素の自分が纏う、普段着のこと。人はだれしも毎日こういう第二の皮膚のような記号を身につけて生活してる。こだわりの人にはこだわりの、こだわらない人には「こだわらない」という自分を記号化したものを。記号には強力な魔法が宿っていて、その力に気づいて使えば、強くもなれるし、逆もある。
たとえば妊娠してお腹が大きくなってきた頃、妊婦用のパンツを履くのがマジで耐えられなかった。デカいのだ。
私は女心がついて以降、ずっとパンツは黒とか赤の扇状的で小さなものばかりを選んできた。女の子のパンツってのは小ささが魅力だ。中に詰め込む荷物が少ない女の特権。お臍が隠れるパンツとか、ちょっと意味が分からない。妊婦用なんてお臍どころかみぞおちまで覆われてて股の内側が白(出血などにすぐ気づくことができるようになってる)とか本当にもうありえない。
嫌で嫌で嫌だった。
でもお腹はどんどん膨らんで、体重は息をするだけでもブリブリ肥えて80キロを超え、あっという間に元のパンツは膝より上に上がらなくなったから、私にはデカパンを履くしか選択肢は残されていなかった。
でもまぁいいや、産んだら靴もヒールに戻すし、パンツも小さく戻せばいい。だって私は母になっても私であることは変わらないんだから。
そう思っていたはずなのに、6年後の今、私は自作の赤褌パンツを愛用している。ダブルガーゼとゴムだけて作れる簡単なやつだ。子供が2歳くらいの頃にふと思い立ち、作ってみたら最高すぎてもう一生後戻り出来そうにない。最近はタンクトップまで自作した。ブラジャーはしない。乳を揺らしたくない時は晒しを巻いている。
デカパンを機に私の下着には大革命が起きた。
あの強烈な否定感は、小さいパンツは旧来の私の自我の記号そのものだった証だ。それをバリッと引き剥がすのは魔女の参入儀式と同程度レベルのイニシエーション体験だった。しかもその後の出産産褥育児も壮絶なイニシエーション体験が目白押しだったもんで、正直もうデカパン以前の自分のことはよく思い出せないし、写真を見ても他人のような気がする。
だから、お腹が凹み、授乳のために乳を頻繁に露出しなくてもよくなった時、さてとクローゼットを開いてみれば、そこにあるのは他人の服ばかりだった。
豹柄ボアのコートに、黒と黄色の目玉柄のワンピース、背中と胸に切れ込みが入った真っ青なピチピチトップスにレザーのホットパンツに幾何学模様のガーターストッキングってなんだよこれ。靴箱も覗いてみた。元々靴は多い方じゃなかったけど、食パン一斤くらいの厚底ブーツも出てきた。
小さいパンツの私は、どうやら相当奇抜なファッションセンスの持ち主であったようだ。
アホみたいだけど、よく見ると、どれも可愛い。チョイスに一貫性があって、ブレがない。どうやら小さいパンツの私には確固たる「自分をこう見せたい」っていうのがあったみたいだ。
でも、赤褌の私には、着たい服がない。
なぜなら「こう見せたい」が無いから。
とりあえず小さいパンツの私の服は、同じく小さいパンツを履いているであろう年頃の若い知り合いに一切合切もらってもらった。
着たい服を見つけるっていうのは、自分を再定義するってことだと思う。
さてどうしようかな。
そんなことを考えていたのが、ちょうど1年前の今頃だ。