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裸の王様

ある国に、新しい服が大好きな、おしゃれな王様がいた。ある日、城下町に二人組の男が、仕立て屋という触れ込みでやってきた。彼らは「自分の地位にふさわしくない者や、手におえないばか者」の目には見えない、不思議な布地をつくることができるという。噂を聞いた王様は2人をお城に召し出して、大喜びで大金を払い、彼らに新しい衣装を注文した。
大臣はじめ家来は皆、仕事の様子を確認しに行くが、自分が見えない事を言えずに仕立て屋たちが説明する布地の色と柄をそのまま報告した。その後、王様も確認したが、彼の目にもさっぱり見えない。だが、彼は家来たちには見えた布が自分に見えないとは言えず、布地の出来栄えを大声で賞賛し、周囲の家来も調子を合わせて衣装を褒める。衣装お披露目のパレードでは、国民達が誉め讃える中、一人の小さな子供が、「だけど、なんにも着てないよ!」と叫び、群衆は騒めく。ついに皆が「なんにも着ていらっしゃらない!」と叫びだすなか、パレードは続くのだった。
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なんだかまるで今の世界の様。



1.多くの大衆は社会的地位の高い者や、権威のある者などの肩書きにとらわれて、彼らの言葉は疑うことなく信用し、それとは違うこと発言すれば自分がどう思われるのかと世間体を気にするため、本当は何も着ていないという事実が見えなくなってしまっている。例え少数意見でも、自分の意見を伝える大切さ。自分の意見や感覚に自信を持つ事。

 


2.子供が指摘するまでは、自分の意見に自信が持てずに賞賛していた大衆も子供の言葉をきっかけに、真実が見えて来て、同じく叫び出す。最初の一歩目がなかなか勇気を出せずにいる人も、一人が言えばその突破口の様な流れが作れてしまう。真実を発言する強さを見習いたいところ。

3.自分の周りにはいつも信頼出来る、正直な友人を置いておく。誰か一人でも、王様の事を考え正直に意見出来る信頼関係があれば、彼自身がパレードで恥をかかずに済んでいた。

4.着飾って大きく見せるよりも、ありのままが一番良い。そもそも自分が満たされている王様なら新しいものに飛びつき外側ばかりを繕わないで良かったはず。自分を取り繕うよりも、あるがままでいること。誰かによく見られたいと他人の評価で生きてると失うものもある。

他人の行動を手掛かりにして行動をしている為、自分からはやめると言い出せず、
その行動は他人の行動の意思決定の条件にもなる為、集団として間違った選択が維持される。
これを、「多元的無知」と呼ぶ。

この王様の話はただ恥をかくことで済んでいるが、
全体の舵の取り方によっては、
戦争に発展したり、命を落とす様な災害を生む。

自分自身も裸の王様になっていないか、家来や大衆のようになっていないか、客観的に自分を見続けたいところ。

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