ホンモノとニセモノ
トマトがねえ
トマトのままでいれば
ほんものなんだよ
トマトをメロンに
みせようとするから
にせものに
なるんだよ
みんなそれぞれに
ほんものなのに
骨を折って
にせものに
なりたがる
相田みつを
この数年で、このホンモノとニセモノが分かり易くなってきました。
今までは、金ピカだったメッキがポロポロと剥がれてくる時代。ある意味私の中では、革命的な何か、今までの常識を覆すような出来事が起こるのではとひっそりと楽しみにしている自分がいます。
だって、こんな歴史的な瞬間に立ち会えるなんて、なんだかワクワクしませんか?
今までは、ないものをあるように見せたり、あるものを無いように見せたり。そして、救いの為にと、高額な報酬を要求したり。
元々が虚構の上に成り立つ世界。
誰かに崇拝してみたり、やってること昔から人間変わらない、進歩していないなー。泣
こんな不安定な時代だからこそ、何かに、誰かに縋りたいという社会が益々加速するだろうと思います。
残念ながら、小さい頃から、私たちはTVを通じて、ヒーローが来て私たちをピンチの時には救ってくれるストーリーに慣れさせられて来たのです。
それは、自分達がそれぞれ持っている力強さをどこかに、忘れさせるために。それに加え、権利よりも先に、義務の大切さを教えられて、それに従順に生きることが良い国民の務めとされてきました。
産業革命辺りから、いかに使い易い労働者を育てるのか、という所で、教育を知らぬ間に受けてきたわけです。そのお陰で技術革新は進み、国も豊かになりました。ただ、その時の時代には合っていて必要であったことは確かですが、今のこの物質的に豊かになった社会の中では、その頃からも同じように続くシステムの必要性を個人的には感じません。
新しい時代の幕開けがもうすぐそこにきている気配がします。
世界を観て、自分を知っていく時に、入りました。
自分が何を信じているのか?自分にはどんな観念があるのか?
何かを得るたびに外側を見続けるのはもうやめないと。
何もせずに、ここに全てあるという内側から溢れる至福を、わざわざ自分にはないと考え、不幸な状態を自ら作り出し、苦労して尚も外側ばかりを追い続ける。そんな負のループから抜け出す人がもっと沢山増えますように。