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恥ずかしくていい このままの自分でいい てんびん座満月

てんびん座満月の朝は、こんな言葉で目が覚めた。

「恥ずかしくていい このままの自分でいい」

こころの自由を感じる言葉だった。


パートナーシップにおいて
わたしを苦しめてきたのは
まさに「恥ずかしい」という感情だったように思う。
 
一緒にいたいのに
一番嫌な自分、見たくない、恥ずかしいと感じる自分を晒してしまう相手。

見たくない自分を相手に見ては
もう離れようと思うことを繰り返して
素直になれなくて、また嫌になる。
 
そんな繰り返しだった。
その奥には本当の願いが隠れていた。

本当の願いを感じて、
そのことに素直になる。

望みを
言うことが恥ずかしいと思っていたように思う。

相手を変えることでもなく、
自分を変えることでもなく
ただただ、望みに素直になる。

それでよかったんだと思う。

そればかりでなく、ここに書ききれないのだけど
2月3月は「救済」された感のある月だった。

「救済」とは、どれほど愛されているかを
思い知るような体験だった。

 
気づいたら
すべてが愛おしくなっていた。
どんな自分も愛おしい。


恥ずかしい自分を晒して
その自分を愛することを徹底的にさせられた
パートナーシップ。

どんな自分も愛する。

そこに人間関係の調和が生まれる。
これこそ、てんびん座の真髄だよね。


それにしても”恥ずかしい”という感情って
いったい何なんだろう?
 
アダムとイヴは、知恵の樹の実を食べて
「恥ずかしい」と思うようになったという。
それは、人類の最初の原罪の意識とも言われる。
 
いつからだろう?
恥ずかしいと感じるようになったのは。

もう少し丁寧に感じてみたい案件。

ひとつ、言えることは、
恥ずかしいときは、照れて乱暴、粗雑になる。

恥ずかしさを乗り越えて
もう少し丁寧に、目の前の世界を感じながら、入っていくとき

やわらかくて
きめ細やかな感覚が体を包み込む。

これは、てんびん座の洗練なのかもしれない。


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