見出し画像

くだものを狩りに

新たな職場での仕事開始まであと16日。
期間中に色々やっておきたいことはあるものの、前のめりになることなく、ご自愛時間を優先しようと思っている。

昨日は旦那に誘われ、県内の観光農園へ秋のフルーツ狩りに。
食べ頃の果樹園から好みの果実を自由に収穫できるという素敵なプランを選んで、ぶどう・梨・りんごを数銘柄ずつ獲ってみた。

『ちょうど狩り』と名付けられているこのプラン、フルーツごとの品種も複数あるので、私と同じく少しずつ色々味わいたい人にはとても嬉しいシステムだった。

一昔前の果物狩って『時間内で1つの果物を食べ放題』というシステムオンリーじゃなかったっけ?

食べたいものを食べたい量だけ

今回のフルーツ狩りであらためて感じたんだけど
「食べたいものを食べたいだけ食べる」のが好きだ。
そう聞くと、好きな食べ物を際限なく食べるイメージもあるかもしれないが、「食べたいものをちょうどいい量だけ食べたい」という意味である。

もっと言うなら
「時間にこだわらず、その時食べたいものをちょうどいい量だけ、ちょうどいい温度で食べる」のがたまらなく好き♡

そんな私の「ちょうどいい量」は一般的には少ないようで、一人分が多すぎる量の食事は苦手だ。

人から大量の食事を勧められるのも苦手なので、嫁初心者の頃は義実家での大盤振る舞いが結構辛かった。
今はお互いの理解があるので自由に調節できるが、
「遠慮しないでこれもあれもどんどん食べて♡」とマシンガンペースで勧められると、愛情が動機なだけに無下にも断れず、限界を超えて食べたものだ(遠い目)。

義実家からしたら、かわいい息子とともに美味しいものをたくさん食べてほしいというストレートな愛情表現に他ならないのだけれど、満腹量への認識のズレはなかなかに辛いものだった。


食ハラという言葉

少し前に、同じく少食の実姉にそんな過去の出来事を話した時「食ハラ(食事ハラスメント)」なる言葉が存在することを知った。

食ハラとは学校や職場の飲み会などで、食べられないものや大量の飲食を強要される行為という定義らしい。

近頃、お互いの認識の違いで起こるあれこれを、何でも『◯◯ハラスメント』とラベリングをし過ぎるのではと個人的に思っているのだが、一方が何気なくやっていることを不快に思う人もいるという理解が進むことには賛成だ。

一方の正義や愛情の下、良かれと思ってしたことが、相手には迷惑なおせっかいでしかないことはよくあることだ。

よく言われる「空気読めよ💢」という言葉も、その人の当たり前を相手に強要するハラスメントのひとつなのではとも思うのだがどうだろう。

「空気読めよ💢」に含まれる「相手の気持ちを考えて行動すればそんなことにはならんだろう💢」という意見も一理あるとは思うのだが、相手の気持はどうやったって自分の常識(当たり前)の範囲でしか推し量れないのだ。

長く生きていると単純に世代間の常識の違いから起きているハラスメントを目にする機会も多いが、一方が自分の当たり前を相手にも強要することが一番のハラスメントなのではないだろうか。

空気は読むものじゃない

TVドラマにもなった人気漫画『なぎのおいとま』に印象的なセリフがあった。
『多分空気って読むものじゃなくて吸って吐くものだと思うから』
言葉の起源はどうやらこの漫画ではないようなのだが、心に刺さった名言だ。

まずは、この物語の主人公のように自分の気持ちを話せて、かつ周囲もそれを否定するのでなく「そう感じる人もいるんだな」と受け入れられる世の中になるといいなと思う。

その上で、誰もが自分らしく生きられる仕組みを作れると更に良い。

果物狩りの話のはずがえらい遠くまで書き進んでしまったが、食ハラに限らず人それぞれの心地よいをちゃんと発信できて、それが尊重される優しい世界を望んでいる。


#ちょうど狩り

いいなと思ったら応援しよう!