#19 わたしがあまり賛成できない常識
『常識』と言う言葉が好きではない。
というより、あまり良いイメージがないと言った方が近いだろうか。
書く習慣1ヶ月チャレンジ19日目のお題は常識について。
常識とは
そんなわけで、常識についてあれこれ考えていたら、『常識』がゲシュタルト崩壊を起こしてしまったので辞書を引いてみた。
辞書の説明でわかる通り、常識とは万人に求められる必須の知識なんかではなく「ある社会で」という何とも不安定な前提の上に成り立っている。
裏を返せば、存在する社会の数だけ異なった常識があるのだから、誰もが認める常識なんてものは世の中にはない。
常識とは捉えどころのないぼんやりしたものなのだ。
例えばあなたが誰かに
「そんなの社会人として常識じゃん!」
と強めの口調で言われたとしよう。
発言した相手は、その人が思う『社会人としての常識』を蔑ろにしたあなたに、ひどく腹が立っているようだ。
しかし、である。
どんなに声高に詰め寄られたところで、こちらがそれを『社会人としての常識』とは思わない社会に属していたら、「は?」なのである。
常識とはお互いが同じ共通認識を持つ社会に属していなければ、成立しない知識であり判断力なのだ。
わたしがあまり賛成できない常識
話が冒頭に戻るが、わたしは『常識』と言う言葉があまり好きではない。
それは、常識という個人的な価値観を世の正義として振りかざす人がとても苦手だからだ。
キンコン西野氏がよく言う
「思とけ!(おもとけ)」には、この意味も含まれているのではなかろうか?
「思とけ」は人に自分の当たり前を押し付けるな、余計なクソバイスはするな、ということだと思っている。
自分の常識を武器に、人にアドバイスという名の押し付けをしている場面にでくわすと、「おめーの当たり前を人に押し付けるなよ」とため息混じりに毒づいてしまうわたし。
(もちろん、そっと心のなかでw)
そんなわけでわたしがあまり賛成できない常識は、「当たり前の常識」である。
当たり前ってさ……
一体どこのどなたの当たり前なん?