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昔から何も変わらない

以前にも「コンタックスT」の事は書いた。
今回はもう少し、深く潜って考えてみたい。

コンタックスTのカタログは、当時の通常のカタログの倍近い厚さがあったと記憶している。
実はページ数そのものは然程多くはなかった。
違うのは「紙の厚さ」で、カタログというよりは冊子の趣が強かった。
中身も妙にセレブレティーな感じで、それ即ちこのカメラが、比較的上流階級の人々が買うような、カメラというよりはガジェットに近い品物だということを示している。

コンタックスのブランドを当時持っていたのは京セラだった。
時代は確かにバブルの頂点へと到達する直前だったし、実際にそのような使い方をしていた人もいるかとは思う。

だが、このカメラは営業的には失敗作だった。
ポルシェデザインに委託してフォルムを造ったのだから、赤字になったかもしれない。
いかんせんコンパクトカメラとしては高価過ぎたのだろう。

発売当時、私はキヤノンA--1のオーナーだった。
何故かは未だに謎だが、キヤノンご自慢の赤色LEDのセグメントでの露出表示が、私には全く滲んで読めないのだ。
たちまちに私は、このカメラへの興味を失い、絶望した。
決して安くはない大口径ズームも買ったのに、なんてこった!!である。

ある日、行きつけの小さなカメラ店で、私はコンタックスTのカタログを貰った。
無料で貰って良いのか?と思うほど、それは豪華だった。
家に帰ってカタログをめくると、そこには私が全く知らない、カメラの世界が展開されていた。

…例をあげると、このカメラの正反対のコンセプトを持ってると言えるのが、ニコンのFE2だろう。
最高シャッタースピード1/4000秒。
水飛沫さえ凍らせるほどの速度。
TTLによるフラッシュ測光は、正確無比。
機械としての、当時の最先端技術がページに並んでいた。

コンタックスTのカタログには、派手な技術の説明など無い。
やれ、人工サファイアのシャッターボタンだ、やれ、沈胴するレンズはプラナーで、とか…どこか古いワインのような匂いがしてきそうなものばかりだった。

当時二十歳そこそこの若造に、年代物のワインのようなカメラが魅力的に映るなどとは、普通は考えまい。
だからこそカメラ店のマスターは、私が写真を撮ることに挫折をしていて、先達としての助言として、A-1を売ることを拒否し、コンタックスを買うことを否定したのだと思う。

しかし、そのときの私は酷く落胆をしていた。
心中ではやはりどこかで、このオールドワインのようなカメラを欲していたのであろう。
年上に逆らうことが苦手な私は、結果としてA-1を売ることなく、何を撮るでもなくシャッターを散発的に切っているだけになっていった。

今でも、どうしても、あのときにコンタックスが欲しくなった理由がわからない。
そして今でも、どこかプリミティブで、シンプルなカメラが時折猛烈に欲しくなるときがある。
これが「単焦点病」の基であるのは明白だ。

手振れが補正され、ピントも正確に合わせられ、目にも止まらぬ動きも止めて捉えられる機械…それは「私じゃない」のだ。

…私はもっと不器用で、才能もなく、体力もないような、ただ愚鈍な人間に過ぎない。
カメラが…自分が見ている世界の、延長線上にあるものであるなら…伸ばした手の先に触れたものと、握手を交わしたいだけだとしたなら、私には矛も盾も要りはしない。
ただ、切り取りたい瞬間に、それを実行してくれる相棒が手元にあればそれでいいのだ。

紅いルビーも、チタンの外装も、気持ちを穏やかに燃え上がらせるアイテムでしかない。
それで良い写真がとれるような、便利な道具ではない。

私に必要だったのは、私を見直すための、写真を撮るためのツールだった。
そしてそういうものは、シンプルでありながらも美しく、実用的だが精緻でなければいけない。
残念ながらA-1には、それを感じることが出来なかった。
素晴らしいカメラではあるけど、私には荷が勝ちすぎていたのだ。

デジタルの時代にあって、複雑さから逃れるのは難しくなったけれど…限定された機能しか持たないカメラを手にして、街を彷徨ってみたい。
今ならばそう…海辺の街が気に入ることだろう。



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