
59
50代との別れが近づいている。
来年には60歳…還暦だ。
ま、赤いちゃんちゃんこは着ないけれど(笑)
小山田いく先生の生きてきた年月…時間だけだがほぼ同じくらい経過した。
本当に若くして亡くなったのだな、と感じる。
先生もまず、自分がこんなにも早く亡くなるだろうとはつゆとも考えていなかったに違いない。
きっとまだまだ作品を描いて、活躍を続けるつもりだったと思う。
これを書いているのは車の中だ。
フロントガラスの向こう側には、いくつもの未だ新しそうな家々が並んで見える
同じような作りの、同じような家が建ち並んでいる。
人生50年と謡ったのは織田信長だけど、日本人の平均寿命が伸びた今であっても、何故このフレーズは廃れないんだろう。
結局、人生の中で充実した時間と言えるのは50年ほどでしか無いのかも知れない。
家を買って、ローンを償却して、さて後は…と一人ごちする頃には、人生の盛りは過ぎてしまっている。
…だとしたら、今目の前にあるこの風景とは一体何なのだろう。
実は数時間前まで、私は「妙義山」にいた。
妙義山は山というよりは岩の塊のような場所で、大昔はスッポリと海の底だったそうだ。
あの岩塊を目にした後、目の前に展開する新興住宅の波を見ていると、時間の差こそあれ、物全て皆滅びるのだという事実が胸に迫ってくる。
さだまさしの「防人の詩」の中で何度も繰り返し反復される
「海は死にますか 山は死にますか」
という問いは、精々が100年ほどしか生きられない、人というものの生の哀しみの到達点だと思える。
もしかしたら数十年ほどしか保たぬだろう家を、ここぞとばかりに建てる行為は、人が人であるという哀しみの墓標であり、大いなる自然への「復讐」なのかも知れない。
人生を50年と喝破するのも、自らの棲家を作り、その為に働き続ける事も、人の生き方としては正しいし、そして哀しい。
私は還暦を信じない。
人生にやり直しなど無い。
今まで生きてきた時間が全てだ。