
時は流れて
昔、所謂「銀箱」というカメラケースに、機材一式を入れて車で小旅行に出掛けたことがありました。
銀箱というのは、アルミで補強をした木製のハードケースで、今はあまり使っている人は少ないが(撮り鉄関係の人は使ってるようです…踏み台がわりになる)工具入れなどでの需要は高いようです。
その銀箱に、ペンタックスのME-superと、標準ズームに広角レンズ、望遠ズームに、500ミリの「反射望遠レンズ」とストロボなどを入れて、当て所もなく車を走らせ、気に入った風景に出会ったら撮影をする、という繰り返しを行っていました。
広角から超望遠までをカバーするセットなので、取りこぼしというものは凡そ無くて、とても楽しい一日が過ごせました。
今とは比較にならないくらいにガソリンも安くて(今の半分程度!!)のんべんだらりと走ることも、何のストレスも感じられませんでした。
若かったですね。
重たい銀箱と、スリックのマスタースポーツという三脚を肩にして、田舎の野道を登って行ったのですから。
流石に500ミリのレフレックスレンズだと、三脚無しでは厳しかったので、三脚も持参していたというわけです。
翻って…当時のあの「一式」をデジタルで備えたなら…所謂「ネオ一眼」だけでほぼ済んでしまいます。
広角から1000ミリ(!!)以上の望遠を含むズームレンズが、条件次第では三脚も必要なく使えてしまう。
小さなバッグひとつだけ持ち出せば、事足りるのです。
技術の勝利という奴でしょう。
…不思議に思うのは、今は本当に気軽に撮影が出来るようになったはずなのに、その一方でどうにも「気が重い」と感じること。
パッケージングが飛躍的に進化したのに、むしろ心は縛られて飛べないような気がします。
どこかに冒険心とか、夢見る気持ちを置き忘れてきたように感じるのです。
手に感じる重さの分だけ、夢の重さも有ったような…そんな気がします。