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仰げば尊し
…中学時代の僕は「仰げば尊し」の歌詞の意味など知らなかった。
「♪扇げば尊し和菓子の恩?」…などと、食い意地の張った事を級友に言って、ウケを狙っては自分も笑い転げるという、お気楽な事をしていた。
中学時代は楽しかった。
イジメもされたけれど、いつの間にか自分が笑いを提供する側に立って、毎日騒々しく過ごすようになった。
イタズラがとにかく好きで、アイディアを提供するのは必ず自分だった。
それもまた非常に迷惑なヤツを考え付くから、実行すれば面白いのだが、その事で先生に大目玉を食らうことも度々だった。
自分と、三人のイタズラ友達。
罰として先生には廊下の雑巾がけをやらされた。
もちろん体中が悲鳴をあげるくらいの筋肉痛を負ったが、不思議と先生に対して怒りなどは持ち合わせなかった。
先生の目は優しくて、困った坊主どもに内緒で給食の牛乳を分けてくれたりもした。
高校受験のために、やったこともなかった猛勉強をして、どうにか志望の学校への切符を掴んだ。
クラス中が「全員合格!」の希望に燃え、互いが教えあい、学力を高めていた。
現実は残酷で、中には志望校に届かなかった子もいた。
本人が酷く緊張して、実力を出せなかった時もあり、悲嘆に暮れる級友を見ても、言葉ひとつかけられぬもどかしさを知った。
みな散り散りになっていった春。
不幸にも自分のクラスには、中学のクラスメイトはいなかった。
春が去り、やがて梅雨へと向かう頃、クラスの中に居場所を探すことにも疲れてしまった自分がいた。
進学先の高校は受験校というわけではない。
むしろ、社会に出るための即戦力を育成する役割が主で、故に「腰掛け」としての場所であると認識していた生徒が多数だったと思う。
若しくは、当時は野球強豪校のひとつであったから、その為の入学という子も多かった。現在とは違い、越境入学は少数だったから、自ずと県内の子供たちが集まってくる。
彼らは日々「野球漬け」であったから、彼らとの交流の機会というのも非常に限られていた、と言うのも理由にはあるだろうか。
「仰げば尊し」が歌われなくなったと聞いた。
確かに師と呼ぶには、あまりにも疎かな教師の存在がニュースで流れてくることもある。
ハラスメントめいた扱いをされて、不幸にも学校が大嫌いになったという人もいるだろう。
でも!!…それでも、師と呼べる存在には、人生の中で何度か巡り会えるはず。
彼らに教えを受けたことに感謝しつつ、また、彼らに自らの成長を誓うことは、人が成人していくなかで、決して外してはいけない事だと思うのです。
そのセレモニーこそ卒業式であり…だからこそ「仰げば尊し」を歌いたい。
師を讃えるためだけではなく、自らが誓約を果たすための契りとして。