当たり前のこと
大学生の娘が、お母さんに誕生日祝いの料理を作ってくれる、という話を聞きました。
そう珍しくはない、ある意味ありふれた話です。
ただ私には娘はおろか、伴侶もいませんから、その話は夢の話の様で、現実味に欠けるものでした。
時折思います。
「もっと違う人生が有ったのじゃないか?」と。
もっと普通で、ありふれていて、当たり前な…誕生日を祝ってくれる子供と、それを見て感動している(私の誕生日に感動しているのではなくても)妻の姿があって。
灯された6本の蝋燭を、私は電灯を落とした部屋の中で吹き消している…。
久々に子供とゲームして遊んで、三本目のビールに手をかけようとして止められて…明日も早いのでしょう?、アルコールが残ってたらマズイでしょ?と嗜められる。
そうだ、そうだと頷いて、甘い缶コーヒーを手にして飲む。
目の前がふいにぼう、と霞んで、テレビの画面が滲んで。
ああ、齢をとったのだなぁ、と思って。
ここまでの半生を思い出すと、去年亡くした親父の顔が浮かんできて。
憎らしい男、嫌な奴だったが…何故にもっと優しく声をかけてあげられなかったのか?。
苦しい日々であったとはいえ、孫には笑顔が出来る人間では無かったのか?。
自分の狭量を思い、そして繰り返すまいと、子供の横顔を見ながら誓う。
幸せを…もっと捧げよう。
いつかは離ればなれになるけれど、できる限りの事はしよう。
…親父として。
そんな日々があるかと思ってた。
そんな日が来ると、理由無く思ってた。
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