あの日。
…その日の事は良く覚えている。
二階家の西陽が当たる部屋は、その夏の最中と言うこともあり、ただ蒸し暑かった。
私は、部屋に似つかわしくない大きなベッドに埋もれるようにして、暮れ泥む赤みを帯びた空に、三角形に影となっていた小さな山容を凝視していた。
小さく遠く影になっていた山は、私がいつの頃からか強い憧れを抱く場所のそばにあった。
山の麓にその「憧れの場所」は在り、私はその場所を一昨年訪れたばかりだった。
願いを叶えて間も無く、私は病魔に襲われ、長らく外出も間々ならぬ状態となる。
…1985年8月12日、夕刻の空は赤く染まっていた。
その後の事は記憶が不確かだ。
テレビのニュースで初報を視たかもしれない。
私は夜通しで小さなテレビを視ていた。
なかなか判明しない墜落地点。
部屋の窓から消息が途絶えた場所を見るものの、ただ夜の闇が広がるばかりだった。
乗員の無事が気がかりではあったものの、いつしか睡魔が私を眠りに引き込んでいた。
墜落地点が群馬県内であると確定され、遠く離れた場所にいる私にも、昨日までとは明らかに違っている空気を感じることが出来た。
多数のヘリコプターが我が家の上空を行き来している。
民間の単発機もあれば、自衛隊の大型輸送ヘリが連なって飛んでいくのも見えた。
確かな音にはならないまでも、空気そのものが激しく波立っているようで、どうにも落ち着かない気分だった。
テレビで奇跡的に救出された中学校の女の子の映像を見て、涙が湧きだしてくる。
病気が精神を不安定にしているとはいえ、感情が激しく揺れ動いていた。
私の近辺で、直接事故に関わる「何か」が行われていたわけではない。
しかし、いつもとは何かが異なっている。
あのとき、本当にたくさんの人々が直接、間接に関わらず、事故と向かい合っていた。
そしてその中で、多くの人が悲しみの記憶を自らに刻みつけている。
あの夏の日々は、群馬の人たちにとって、特別な日々なのだ。
今年もまた、あの日がやってくる。
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