二眼レフデジカメが欲しい
二眼レフ、知ってますか?。
一眼レフの間違いじゃないですよ。
長っ細い縦型の筐体に、レンズが上下に二つ並んでるアレです。
上の蓋みたいなのをパカっと開けると、下に半透明白色のスクリーンがあって、そこにレンズを透した光が映ります。
不思議なことに、画像は上下は正像で、左右が逆像なんです。
鏡と同じですが、これは筐体に設置されたミラーで、レンズからの光を45度曲げてスクリーンに映すからです。
レンズは上のがビューレンズで、このレンズからの光をスクリーンで見ます。
下のレンズが撮影用のレンズです。
ここには絞りと、シャッターが内蔵されています。
二つのレンズは同じ板に固定されていて、ピント合わせはビューレンズのものを使います。
左右逆像なので、カメラを右に振ると像は左に行きます。
慣れるまではとても幻惑されます。
さて、現在はデジタルの時代です。
カメラにはモニターがあって、画像はレンズの光を受けたセンサーの信号をそのまま使っています。
左右は、だから正像です。
当たり前ですね。
ひとつのレンズで撮影も確認もできます。
だから機能としては満点です。
…なのに何故「二眼レフデジタルが欲しい」と言うかといえば、それは「撮影スタイル」に理由があるのです。
上から覗くということは、カメラをホールドする箇所は、ちょうどヘソの上辺りです。
随分と低い位置ですが、これが良いのです。
一眼レフでファインダーを覗くとき、または、モニターを見るときは、アイレベルになっています。
目線が高いのです。
…しかし日常生活の上では、そんなにも高い位置にものを置くことは少ないですね。
テレビもパソコンも、車のハンドルも…みな視線を落として見たり使ったりします。
人の生活は、みな腰の高さ辺りで行われています。
映画監督の小津安二郎は、カメラを通常よりも低い位置に固定して撮りました。
そのことで、人の仕草や生活の模様等が、画面上に深く多く現れるのです。
二眼レフで撮られた昔の写真は、心なしか笑顔が多いのです。
一眼レフが急増したのは、ベトナム戦争の最中でした。
丈夫で、レンズ交換が出来て、ありのままの画がリアルに確認できる。
報道カメラマンはみな、一眼レフに機材を換えます。
そしてそのころから…写真は冷たくなったと思います。
現実をリアルに写し出せるようになったことで、写真は「現実のコピー」となり、印画紙に写し出されるのは、増幅された現実世界ばかりになりました。
コピー、という意味では、デジカメはそういったものでしょう。
デジタルによって、カメラはコピー機になりました。
ただのコピーではなく、色を強調したり変えたりと、変幻自在な機械になりました。
そして今、スマホがそれを急加速させています。
スマホで撮るとき、どんなスタイルで撮りますか?。
片手で目の高さまで差し上げて撮影することが多いでしょう。
スマホでは、ヘソの高さまで下げてしまうと、画面が見えません。
ゆえにスマホの撮影は、アイレベルが基本なのです。
…二眼レフで撮影していた頃の画像は、技術が進化していく過程で消えいこうとしています。
あの正方形の小さな印画紙に、妙にリアリティーを感じさせる画像は、その狭さと濃密さゆえに「日常」でした。
しかし、技術というのは進化と並び歩くもの。
今更フィルム時代に戻ることは難しい。
せめて、二眼レフのスタイルのままに、デジタルで写真が撮れたならば!と思ってしまう。
懐古かもしれない…でも、形ばかり昔の一眼レフに似せたデジカメが売れるのは、そのコンセプトの基になっているのが「回帰願望だから」だと思います。
…ハンドルを回して、シャッターをチャージして、機械式のダイヤルを回し、絞りを設定する。
勘でシャッタースピードも設定して、静かにレリーズボタンを押す。
小さく機械式のシャッターが動作する音が聞こえる。
一秒間続く、かすかに唸るような音。
撮影済みの画像を見るもよし、無視するもよし。
凡そ光学性能を突き詰めることなく、必要十分な解像度をもったレンズは、大きな波乱を起こすようなことなどない。
「写っていることが幸せ」
…そんな気持ちになれるようなカメラが欲しい。