サヨナラ、愛しのカメラ
運が悪いと言うのか…買ったもの…特に新品を買ったときに、その商品が自分に合わなかったり、トラブルが有ったりします。
バイクを買ったとき、最初からエンジンの調子が悪くて辟易したりしました。
始動困難になったり、回転が上がらなかったり。
キヤノンA-1を入手したときもそうでした。
故障とは言えないのだけど、ファインダーを覗くと表示がボケる、というか滲むと言うか…とにかくまともに見えないんです。
推測ですが、これは表示がセグメント式のLEDで、スクリーンとの間に視差が生じるのか、もしくはプリズムの光路に何か問題があるのか…ネットで探しても類例が無いので、偶発的なものだと思います。
因みに他の個体でも同じ現象が起きました。
ともあれ…そういった運の悪さと言うものは、思いの外に長いこと心に居続けるものです。
何故なんだ?という疑問は、原因が分かるまで心を苛むものですね。
バイクの方は何となく原因も解明出来そうですが、カメラの方は見通しが立ちません。
ただただ無念さが残り続けていますし、原因がわかっても策が有るわけでもない。
おまけに時代はデジタルで、今更A-1を求める気もありません。
デジタルの世界で、当時と同じランクであるカメラを求め使うことが出来れば、無聊を慰める事も出来るかも知れない。
当時のA-1と同じポジションにあるのは、EOS の一桁で、フラッグシップの次艦ということになります。
つまり「EOS 5Dシリーズ」です。
EOS 5Dなら、当時のA-1とタイです。
江戸の仇は長崎で、じゃ無いですが、ついに使いこなせなかった機体と同レベルの機体を駆使して撮影が出来るなら、溜飲も下がるんじゃ無いかと。
…そんな事も考えてみたりします。
馬鹿げた話ですし、どうでも良いことだとも思うのですが…カメラと言うものは多分に人の感情に訴えかけると言うか、案外と心の深いところに巣食うもののようで、A-1での失敗は、どこかでリカバリーせねばならず、いつかは決着を着けねばと思わずに要られないのです。
ぶっちゃけ下らない話です。
どうでも良いような話ですが…不思議と大真面目に考え込んでしまうのは、人生のターニングポイントを過ぎてから、もう随分と時間が経ってしまったからでしょう。
心の中のカメラとサヨナラがしたい。
そう…これは恋愛と良く似ています。