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尊敬する写真家、いますか?

尊敬する写真家…私の場合は年齢で異なります。

二十代初めは、風景写真家が好きでした。
竹内敏信先生とか。
(サイン入り写真集買いました!)
ネイチャーだと木原和人先生とか。

二十代中後半になると、スナップ写真に移行します。
この時が一番、写真集を見ました。
図書館に多く揃っていたのも良かったです。
森山大道、荒木経惟、A・ブレッソン、奈良原一高、東松照明、牛腸茂雄、リー・フリードランダー、ダイアン・アーバス、エリオット・アーウィット…等々(敬省略)。

特に奈良原一高さんが好きで、写真集「消滅した時間」の「二つのサンタクロース」という写真に衝撃を受けました。
所謂コンポラ写真という分野が好きなわけですが(今も同じです)写真は絵画と異なり、瞬間を凍結できるところが魅力だと思います。

絵画も過去より、そういった試みは多く行われてきた訳ですが、写真と違うのは、それが「RAW」であるかどうかで、その特性について写真は絵画より秀でていると思います。
「生っぽさ」が写真の魅力だと思うのです。

デジタル化に写真が移行して、一番被害を被ったのはスナップの分野だと思います。
編集、という行為が簡単に出来るようになったお陰で、写真から生っぽさが消えた気がします。
簡単に邪魔なものが画面から消せるのは、デジタルの恩恵だと思う一方で、何か真剣さというか「命かけて」撮るということをしなくなってしまったと思うのです。

終了してしまいましたが、今秋は信州小諸市で、フォトフェスティバルが開催されていました。
森山大道先生の作品も大伸ばしされて展示されていましたが「Stray dog」も展示されていました。

正式には「三沢の犬」という題名なのですが、Stray dogの方がシックリ来ますね。
展示を見たときには、おっ!という感じでしたが、写真に撮ってモノクロ現像をしたところ、面白いことにリアリティーが倍々増し!になったような気がしました。

もちろんそれは私の腕ではなくて、Stray dogの潜在的な力が、写真に撮り直すことで倍加されたと言えるでしょう。
森山先生も、ポスターなどをよく写されていましたが、写真の中でのポスターというのは、その存在の独自性を強めているようで、本来の目的を越え、見る側に何かを訴えかけて来るようです。
写真は謂わば「霊媒」であり、被写体は詰まり「霊体」である。
そんな言葉が浮かんできます。

…写真とは、実体ではなく虚像です。
あやふやな存在であり、写真家はカメラという媒介を使い、霊体を霊媒に宿す「呪術者(シャーマン)」なのかも知れません。

森山大道という人は、現代社会の大呪術師なのかも知れないですね。

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