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そろそろ終盤戦。

…以前書いたnote 。

…撮影時の記憶が、デジイチよりコンデジが強く残る、という話。

この理由については長く考えていたけど…詰まるところ
「主体がどこにあるか?」
…というところに集約されるだろう。

コンデジを持ち出すとき、気分は「旅」であって…それはどんなに短い時間でもそうであったと思う。
撮影は主役じゃなかった、ということ。

しかしながら(ここが肝心というか、面倒臭い)旅の記憶と言うものを、どうにかして残そう…若しくは表現しようという下心が、写真を写真足らしめようとさせてしまう。
それで工夫をし(写真として成立させんが為に)構図等を拵えて(その場合も極めて本能に則した形だが)撮影をしている、ということらしい。

コンデジは気楽に撮れるので、工夫や作意を少なく出来ているようだ。
適当に、短い時間で撮影が終了するので、記憶(インプレッション)が欠落せずに残る。
これがミラーレスとか大仰になってしまうと、撮影に意識が集中してしまって、当時の記憶が少なくなってしまう。
要は「撮影意識の大小」によって、当時の記録は左右されているのだ。

撮影という立場から見るなら、それは作品を作る事が目標だから、それに意識は集まりやすい。
しかし「旅」の中においては、四六時中撮影のことを考えているはずもなく、時には本当に適当にシャッターを押しているということもある。
旅の中での撮影はアバウトだ。
逆に言えば、そのアバウトさをカットしてしまう機材は持ち出したくない。
出来る限り記憶の邪魔にならない機材を求めると、現在のところはコンデジしかない!という結論に行き着いてしまう。
画質も質感も機動性も優れている(自分基準で)カメラがあれば、それだけで他は要らない気がする。

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