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徒然て、カメラ
昨晩、キヤノンA-1を入手した時の経緯を思い出そうとしていた。
それまでに使っていたのはPETRI FTEという機種で、これは中学生の時に初めて自分で買ったカメラだった。
コンパクトなども含めての「初めてカメラ」だった。
いきなりのキヤノン、いきなりのA-1である。
突飛と言っても言い過ぎじゃ無いと思う。
本体が85,000円くらい。
同時に買った35-105ミリのズームが53,000円くらいだった。
これで確か一割少しは引いてもらったから、12万円強という値段だった。
当時の高校生が持つには少し贅沢なセットに違いない。
それまで憧れていたOLYMPUSのOM-1に比べても、かなり高い。
何故それほどまでに当時、背伸びをしたかったのかを思い出したかった。
元々、写真そのものに対して強く興味を持っていたわけじゃない。
一番の興味は「バイク」だった。
あの「3ない運動」が無ければ、きっとバイクを買って乗り回していた気がする。
だから別にカメラは「どうでも良かった」気がする。
中三くらいの時に憧れていたのは、先に書いたようにOM-1だった。
ペトリを使いつつ、その小さくて多機能なカメラに憧れを抱いていたのだ。
故にそのまま行けば、OMを買っていただろうにそれをしなかったのは何故か?。
…それは高校での「ある出来事」がキッカケになっている。
高校ではクラブと部活というものがあった。
部活は自由参加で、クラブは全員参加だった。
そもそも学校が終わればさっさと帰宅したかった私だが、クラブには参加せざるを得ない。
だからどうでも良く、写真クラブに席を置く事にした。
ここの担任先生はそれなりに写真に造作があった人らしく、指導などはほぼしなかったが、時たま壇上に立つ事もあった。
そんな折、彼は私を指差してこう言った。
「被写界深度とは何か、説明せよ」と。
…被写界深度?…初耳だ。
何せ一眼レフを持ってはいたものの、知識なんて毛ほどもなかったから。
実際に購入時に「どうやって撮るんですか?」とお店の方に聞いたくらいだった。
知りません、と答えると、その教師は「それで写真クラブに来てるんだ?」と嘲るように言った。
経験に大小あれ、集団の場で、である。
当人にはからかいかも知れないが、痛く心が傷ついた。
ただ足を置いたに過ぎない、写真を本気でやる気など毛頭無い場所で、なおかつ早々辞める事も出来ないという条件付きだから、これは意識は無かったとしてもイジメである。
…この経験が私を写真から遠ざける事になった。
クラブ中はカメラは持つがブラブラしてるだけ。
暗室で引き延ばしをやるでもなく、時間が過ぎるのを待っているだけだった。
新たにカメラを買おうなどとは思わず、殊にOM-1のようなフルマニュアル機を入手しようという意思は持てなかったのだ。
それが何故?という事だが…強い既成概念のようなものが当時はあって「一眼ならキレイに撮れる」というのが、自分のなかで常識になっていたのだ。
景色などはやはりキレイに撮って残したい。
だからカメラは一眼レフであるのは当然、というのが、当時の自分なりの答えだった。
キヤノンA-1にはプログラムAEがあった。
絞りはAマークでロック、シャッターダイヤル(というか、A-1は絞りもここで設定した…詳細省略)もPに合わせておけばプログラムAEで撮れた。
35-70ミリが標準の時代に35-105ズームを選んだのは、ワイドレンジの方が撮れるものが多くて良いだろう、という単純な発想に過ぎなかった。
資金が潤沢だった事もあり、即金で入手したA-1ではあったが…予測不能なアクシデントが発生してしまう。
ファインダー内でのデジタル数字の表示にピントが合わないのだ。
これには心底参った。
表示は消せるので消して使ってみたが、どうも嬉しくない。
…因みにこの現象、ネットで同胞を探してみたが全くヒットしない。
おそらくは個人的な目の問題で、マット面とデジタル表示パネルの距離の違いによって生じる現象ではないか?と推測している。
ともあれ…これでは気持ちが悪いので、元々のペトリで撮影は行っていた。
やがてペトリが壊れ、A-1は似たようなシステムだった「ペンタックス programA」へと変わる事になる。
しかしこれは中古で、しかも粗悪品だったもので、程なく壊れてしまったけれど。
結局のところ、当時の私にとってカメラは「良く写ればいい」道具でしか無かった。
スタイル優先というか、ある意味ファッションでしか無かったのだ。
だからこそ、小さくてよく撮れるカメラとして「コンタックスT」に出会った時、猛烈に惹かれたのだと思う。
カタログを見て、カメラ屋に求めたときに反対されなければ、私のカメラライフは大きく変わっていたと思う。
きっと今はスマホのみで撮影を行っていたはずで、写真の出来不出来に拘泥などしなかったろうと思う。
今でも撮影をするときのモードは、殆どがプログラムだ。
被写界深度とかはあまり重要視しないし、プレビューも使わない。
撮影のために早起きしないし、レンズの質にもあまり拘らない。
安物ばかりだ。
撮影が目的と言いつつも、実際にはそれは口実に過ぎなくて、単に車や鉄道でどこかに行きたいと願っているだけだと思う。
システムをαAに変更したのは、主にレンズが安く入手可能で、旅の気分気分でレンズの構成を選ぶ事が可能だからだ。
冬の野山ならマクロ中心で。
都会に出るならば、標準ズームか標準単焦点かを、歩く場所によって決める。
春の野山でカタクリの花など撮りたい時には、マクロでは遠すぎるので望遠レンズが必須となる。
何でも撮るから、レンズも数多く必要になる。
私がレンズ等のアクセサリーを必要とするのは、写真を撮りたい為じゃ無く、撮影するのに必要になるからだ。
ビデオもコンデジも理由は同様。
写真を「する」のじゃなく、撮影を快適にこなす為に機材が多い方が良いという理由からだ。
コンタックスTは、その理由に合致していたし、結果として非常に優良な写真を残せていたに違いない。
然程写真撮影に興味を持たなかったはずが、今はレンズも揃えて休みには撮影に勤しむ日々である。
あの時、一眼レフを手離していたなら、休日は写真など撮ることもなく、愛車を駆って(バイクか車かはわからないが)走り回っていたかもしれない。