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佳桜忌

ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。
今日は佳桜忌…当時大きな人気を誇っていた「岡田有希子さん」の命日です。

何故「佳桜忌」と名付けられたかですが…彼女の本名「佐藤佳代」の一文字と、季節がらの桜を合わせたものです。

私の居住地では、桜が最後の輝きを見せています。
これから少しずつ散ってしまうでしょう。

特に熱烈なファンであったというわけではありません。
ただ、彼女の出ているテレビ番組を見る度毎に、彼女への想いが強くなっていったことは確かです。

彼女は他のアイドルとはどこかことなっていました。
アイドル活動をしたいが為に、地元での難関高校に猛勉強の末に合格入学しました。
その高校に受かることが、アイドル活動の条件だったからです。
これは謂わば、目標を高く設定することで上京を諦めさせたいという、ある意味親心だったのでしょう。
しかしそれは裏目と出て、結局彼女は上京、アイドルとしての活動を始めます。

このエピソードからもわかるように、才気煥発、しかも努力家という、比類無い人間性を彼女は持っていました。
情熱家であるということも含めて。
歌も最初はやや覚束無い感じでしたが、あとになるほどに表現力と歌唱力は増していきました。
山下達郎・竹内まりや夫妻と知り合ったことなども、大きかったのではないかと推察します。

とにかく「スケールが大きすぎるアイドル」でした。
スタイルも半端なく良かったですし。
アイドルという枠は、おそらく当人も最後まで気付かなかったと思われますが、狭すぎたように思います。

彼女の次のステージを用意できたならば、私は彼女は飛ばなかった気がするのです。
会社に属する芸能人という枠の中で、彼女はもがいていた気がするのです。
「これじゃないんだよ!」って。
もしかしたら、本気で彼女は引退を考えていたかも知れない。
ただ…周りの人たちのことを思い、決めかねていたのかな?…という気がします。
自分で決めた道だから、と。

荻野目洋子さん、南野陽子さん、小泉今日子さん…同期や近しいアイドルたちが、彼女のことについての発言を行っています。
これはとても凄いことです。
色々な制約を乗り越えてでも、話そうとする姿勢。
それは話さなければいけないという力が、彼女達の中から沸き上がってくるからだと思います。
それだけの力を、岡田有希子という人は与えてきたのでしょう。

そしてその力は、三十六年経った今でも消えていない。
これこそが彼女の力の証明であって…しかしそれゆえに悲劇的な最後が、大きな衝撃も生んでしまったのは…残念という言葉ではまるで足りないのです。

彼女のことを思い出す度、悲しさとともに、勇気が湧いてくるのを感じます。
出会えたことの嬉しさを感じます。

特別な人だと思います。
だからこそ、生きていて欲しかった。
桜が何度でも咲くような、それを愛でながら生きていくような、そんな人生だったら「もっと」良かったなぁ。

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