小諸へ…。
只今、小諸市を訪問し、写真を撮り続けています。
昔「すくらっぷ・ブック」という漫画を読んでから、作者である「小山田いく先生」が住まわれ、物語の舞台ともなっている小諸に、どうしても行きたくてたまらなくなり、高校卒業後に満を持して、バイクで初めて来訪を果たしました。
あれから四十年近くが経過し、その間に小諸市を訪れたのは百回を下らないと思います。
それでもなお、未だに小諸を訪れ、そして撮影を重ねていこうとする気持ちは一体何なのでしょうか?。
アニメの聖地巡りをするファンの気持ちは理解できます。
その感情と似てはいるのですが、少しだけ異なる気もします。
すくらっぷ…は、アニメ化されてもいませんから、実際にキャラが動いたりしません。
なのに、どこか濃密なのです。
心の動きや…大袈裟かも知れませんが、キャラたちの制服のスカートが翻る音や、小走りに走る足音や、嬌声や、時に怒声などが、聞こえるような気がしたのです。
人物だけじゃなく、自然の音も。
冬の切り裂くような風の音が、夏の降るような蝉の声が、千曲川の流れの瀬音が…読んでいるうちに聞こえるような気がしたのです。
そして実際、それらの音は、小諸を訪れる度に聞こえていました。
思い込みが強いだけかも知れません。
錯覚かも知れません。
しかしきっと「その地に生まれ育った者」でなければ、錯覚すら起こすことは出来ないでしょう。
小諸の自然、雰囲気というものから生まれいずる…それは「妖精」のようなもの。
私は、フェアリーの尻尾を捕まえたくて、カメラを構えているのだと思います。
今まで、カメラが好きで、写真を撮ることも好きでした。
ただ、それと同時に「規定してしまうこと」は、避け続けてきました。
フォトコンは嫌でした。
プロとしての撮影も、憧れはあれど、結局は引っ掛かりを感じ、進むことはありませんでした。
カメラ集めはしたけれど、それは収集を目的としたものではなく、その場その場での思い付きに流された結果です。
今回だけは、それらと異なります。
自分が、自分のためにだけ行う、純粋な行為。
誰のためでもなく、自分のためにのみ動く。
最初で最後の、大きな自分勝手です。
正直、楽しくて仕方がありません。
結構ハードなのですが、疲れなんてどうでもいいのです。
出会った頃の情動が、長い長い時間をかけて、形となっていくのです。
色々なことがあり、苦しいことも少なくないですが、案外と今が一番幸せなのかもしれません。
次の日曜日、小諸へいく予定です。
天気次第ですが…落葉松を撮影に行きます。
一度、落葉松の黄葉に出会ったことがありますが、その時は十分な技術がありませんでした。
今回は慎重、且つ、しくじらないようにやります!。
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