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【固定用/自己紹介】Q.灯刳さん。とは何者か。
この自己紹介のやつは、何度も何度も見返せるように固定してありますので、フォローしたい方、閲覧とスキをしたい方は是非。
何故「さん。」付けなのか。
かつて、中学校内であったカースト制度により、私のような不思議ちゃんは当然下層でしたので、友達以外の全員から苗字のさん付けで呼ばれておりました。
勿論、苗字の呼び捨ての同級生もいましたが、ついでに美術の先生からもさん付けで呼ばれていたので、その印象が強かったんですね。
学校なので、当然「さん。」「くん。」で呼ぶ規則でしたが、皆はそんなの守らない主義ですので、というか、先生が基本的に生徒を呼び捨てにしていたので。
大半は私の事をさん付けで呼んでいました。何故か、下の名前で呼ぶ人はかなり少なかったんですね。(私の本名かなり珍しいんで遊び半分もあったんでしょうが)
だから、最後に「さん。」が付くんです。私のこの名前。
けど、正直邪魔だと思っていて、「灯刳」だけでいいじゃないかって毎度ながら思うんですけど、意外とこの名前で設定している人、または酷似している人がいるので、区別として私だとわかるように「さん。」です。
途中から、「さん。」は飾りです。なんて皆に教えてきました。
ええ、これは飾りです。だって結局、親しみを持って呼ぶ時にさん付けするんですからいいでしょう。
学歴について。
専門学校までが、私の人生のセットだったのですが、精神疾患が複数の合併症を引き起こし、せっかく全日制の高校から通信制への転入をしたのにも関わらず、通信制ですら卒業が不可能だったんです。高校に通っていたのに、卒業出来ていない、途中で退学に至るので、所謂中卒です。
私の家の血筋として、または親戚として、中卒という人は私だけです。
そして、専門学校を選ぶというのも私が初めてだったんです。
母親の家は、血筋としては、全員大学を卒業しています。浪人だったとしても、必ず卒業していて、好きな職業に就いたり自営業をしたり、稀に先生だったり、大学もそれなりに有名なところを卒業している優秀かつ努力家なので、中〜高学歴が集まっています。
(ちなみに、元女子バレーボール選手である廣紀江選手が私の親戚です。親戚の数が多くて、紀江さんは私から見て何に当たるのか未だにわかってません。御免なさい。当時は、祖父の葬儀で初めて会ったのですが、私がまだ身長が伸び途中だったので、かなり首を上げて話した記憶があります。ウィキにありますので、各自で調べてみて下さい。)
家柄がこうだと、やはり大人になった今でもプレッシャーというものはあります。
持病があり、尚且つ精神障害者手帳一級である私は、障害者雇用で働いたとしても上手くいかないんです。というか、無理なんです。私には働くというのが性に合わない。
事業所も就労支援も経験ありますが、あそこに行っても希望が持てなかった。何というか違った。働くことだけが全てでは無い気がして。
かと言って、生活保護は受けていません。(多分/母親が全部管理してるから不明)
何故なら、それなりに祖母の家が、否、その家柄的に少々お金に余裕があるからなんです。祖母は自分で「だいぶ貯金が減ってきてしまった。」なんて言いますが、たまに私と母親に一万円札とか五千円札とかを躊躇なくあげるんです。祖母は、今年の二月で78歳になります。腰一つ曲がっていなくて、髪は天然パーマで、身長は小柄だけど、歩くのがかなり早く、昔、学校の厨房で勤務していた経験者なので料理が全て健康食。数年前に、伯母が伊勢志摩で自営業を始めたので、祖母は名古屋と伊勢志摩を行ったり来たりしています。「いつ死ぬかわからないから」なんて、最近よく話すようになりました。けど、絶対長生きしますこの祖母は。(祖父-享年68歳/身長180cm以上/水泳の影響で内股のまま火葬された人。/死因:癌の転移)
家柄はどういう風なのか。
祖母はかなり厳しい人です。
母親と伯母は50代ですが、深夜に出歩くとかを許さない人です。
まぁ、毒親と思われるのも無理はありません。違うんです。祖母は昔からこうで、ずっとそうやって二人を育ててきた人なんです。そう、過度な心配性なんです。前に、母親と深夜に栄で夜の散歩をしてきたんです。祖母は寝るのがいつも早いので、その間に行こうと思ったんです。なのですが、祖母は心配で眠れなくなり、帰ってきて早々怒られました。「警察呼ぼうと思ってた。」なんて言うんです。私は初めて祖母に苛立ち反論しました。ですが、祖母は少々頑固なところがあるので、私の意見なんて無視です。あの日が初めて、私が祖母の反抗した日です。流石に厳しいんです。けど、確かに深夜は危険ですが、どこにも寄らずに夜景を楽しみながらの散歩は果たして悪いことなのでしょうか。母親も良い歳ですし、私ももう大人になっていました。この日、もし祖父が生きていたとしたら、言い争いになっていたかも知れません。仲がいいのか悪いのかわからない二人なので。
祖父が亡くなってから、全員の精神が崩壊しました。
伯母も、母も、祖母も、そして板挟み状態だった私自身もおかしくなりました。
祖母も伯母も、二人して「この家を売る」なんて突然言い出したり、当時、私は専門学校を通うにあたって、この家を借りて通おうとしていました。しかし、伯母は「違うところで住んで欲しい」とか言うんです。なので、私はどうしたらいいかわからず、けれど当時の私は夢を諦めていなかったので、どうしてもこの思い入れのある家を売って欲しくありませんでした。
私は生まれた時から、長野から名古屋までを何度も行ったり来たりしています。
私にとっては、第二の故郷だったんです。
祖父がいる時は、必ず遊んでくれましたし、冬になれば家族で麻雀を楽しんだり、祖父も旅行が好きだったので、色んなところに連れて行ってくれたんです。祖父はとある会社の社長でした。家の目の前を通る名鉄瀬戸線を、私が幼い時に何度も一緒に見送ったり、台車で遊んだり、祖父は油絵を趣味としていたので、事務所の中で油絵を習っていたりしました。今でも、私が幼少期に描いた油絵が飾られています。
両親は不仲だったのにも関わらず結婚した。
実は、父親も昔は社長をしていました。しかし、とある事情で早々に倒産してしまって、バイトとかパートとか派遣とかで食い繋いで来ました。父親は持病で、主に耳石があり、胃腸も弱かったり、腰もかなりやっていて、そう長くは働けない体質です。私も悲しいかなその遺伝があり、胃腸が父親にそっくりです。
随分と最近に、母親から聞きました。
母親曰く「お腹に授かったから結婚した。」と言われました。
できちゃった婚です。
これが地獄の始まりなんです。
2023年7月まで、別居する9月まで、両親は籍を入れたり外したり、私の戸籍を行ったり来たりさせたり、保険証も何度変更したかわかりません。
そのせいで、大抵は離婚すると苗字が元に戻せたりしますが、何度も何度もやってしまったせいで、苗字はそのままになってしまいました。
何かある度に、些細なことで口論となり、数時間、または一日以上ずっと喧嘩をし、アパート暮らしだったので苦情が来たこともあります。
父親はかなり癇癪を起こしやすい人で、母親も自分が言っている事は正しいなんて思っている人なので、一人っ子である私は、今に至るまで自分の部屋を持った事が無く、居場所がありませんでした。あったとしても、イヤホンを耳に装着して、曲を大音量で流さないと、イヤホン越しでも両親の怒声などが聞こえてくるんです。
酷い時は、物を壊したり、皿を床に叩きつけて割ったり、クローゼットの扉に穴が空いたりと、もう最悪でした。
私に対する被害は少なかったのですが、手を出されていないのですが、心理的虐待に値するものは長年受けてきた身です。
長年、学校でも私に対する集団いじめが絶えず、本当に居場所がありませんでした。
人間不信どころか、人間が地雷となり、結婚という願望すらも無くなり、感覚は麻痺して今に至ります。
持病一覧/主治医も看護師も最悪だったクリニック
【持病一覧】
(精神疾患)
・自閉スペクトラム症(ASD/グレー/傾向)-診断済み
・軽度知的障害-診断済み
・心的外傷後ストレス障害(PTSD)-診断済み
・解離性障害(健忘・多重)-診断済み
・双極性障害(1型かラピッドサイクラー)-主治医の口から言われる
・不安障害(主にパニック障害)
・心身症(※アトピー性皮膚炎・胃腸系)
疑惑:回避性パーソナリティ障害etc…
(婦人科系)
・月経困難症(中等症並み)
(その他-内科など)
・自律神経失調症
・ヒステリー球
・胸痛
・失声/失歩
・過眠/傾眠
通っていたクリニックの評価は2.0以下でした。
他を考えましたが全部のクリニックが酷く、どこにも行けません。
予約時間なんてもはや関係ありません。
二時間以上待たされた挙句、診察はたったの五分程度。
忙しいと主治医はイライラして患者に当たる。
診察なんて、本当に患者の話を聞いているのかも不明。
薬を出すだけの簡単な仕事。
看護師とか受付嬢はもはや、主治医にとっての奴隷でしか無い。
全員高圧的な態度で、お金を稼ぐことしか考えていない。
何故か話し声が聞こえるは、笑って誤魔化すは、あのクリニック潰れればいいのに。