#149 らせんとダンス
30余年も生きていると「結局戻ってくる」ということを何度も経験するのじゃないかと思う。
例えば趣味だったり、好みだったり、
くだらないこだわりとか。
洋服の話をしよう。
学生の頃付き合っていた人に「全身ベージュやん」と笑われたことがある。今でいうワントーンみたいなのをしたかったのだけど、まぁわたしがしてもお洒落じゃなかったんだろう。セットアップだって昔だったら「パジャマみたい」と一蹴されたし、本当こういうのは着る人が誰かなんだよね、と一人で納得したりした。
彼の好みに合わせてクローゼットの中身がどんどん入れ替わった日々は終わり、今は結局シンプルなのが好きなんだと落ち着いた。別に装飾もいらないのだけど「その骨格なら華やかな袖が似合う」とか言われたらそんなのを選んじゃうし、「おしゃれって言われたいわたし」の言いなりになってポチッとして後悔することもある。でも全部無駄だったと言うつもりはなくて、むしろ「いろんな失敗してよかったなぁ」と思うことにしている。思い出すだけでも恥ずかしいんだけどね。
髪型も色々試した。
癖を活かしたロングヘア、マンガバングス、センター分けもしたし、黒髪のベリーショートも、明るめのロブも、一通り試した。飽きっぽいのかもしれない。
髪がパサつくようになってからは肩よりも伸ばせなくなったけれど、相変わらず「髪型よく変わるよね」と言われるからそうなんだろう。
今はようやく似合うらしい髪型がわかって来たので、伸びては切ってを繰り返している。でもこれもいつまでできるかわからない。ある日突然「あれ?なんかこれしっくり来ないな」と思う日が訪れる予感がする。
「一周回って戻ってきた」と世間ではよく言われるけれど、実はそうでもないのではと密かに思っている。時間は容赦なく流れていくことを忘れてはいけない。
戻ってきたと思った場所は、方角こそ同じかもしれないけれど、実は階層が違うかもしれない。以前のわたしよりもちょっとだけアップデートされていると思うと、なんとなく悪くない心持ちでいられるし良い。
らせん階段のように、実は真ん中の支柱を中心にくるくると昇っていくのなら、遠いところには行けないのでは?と思うこともあるけれど
踊り場に来た時に方向転換したっていいだろうし、
上だと信じていた方向がそうじゃないことだってありそう。
人と自分を比べても仕方がないのは、きっとみんな自分の足がついていると思っている面がそれぞれ違うからだと思う。その人にとっての上は、必ずしも自分にとっても上とは限らないということ。
みんなが同じ方向を向くなんてちょっと変だし、
「こういうのが好き」「こういうのは好きじゃない」と物事を分けて、それに素直に生きることができたら、すごく生きやすいだろうなと思う。目標に向かって進むのが善だと決めつけずに、もっとゆるく、「ダンスするように生き」ていきたい。
決めすぎずに、柔軟にしなやかに
やっぱり結局、ここに戻ってくるんだよなぁ。
あれ?
るる
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