#81 手放せないけどいつも苦いものたち
重ためのピアスをつけると右の耳はすぐ膿んでしまう。
鏡の脇のシミを取れないのにゴシゴシしてしまう。
だめだとわかっているのに「今日はいけるかも」と頭の片隅で思ってしまうのはなんなのだろう。やっぱりだめだった時の「あーあ」と、「知ってたもん」というちょっと負け惜しみっぽい感情で、うすく漂っていた期待はあっさりと締め出されて消える。でもまた、それはじわんと湧いて数日後に同じことをやってしまう。
だめって知ってるんだけどなぁ。諦め切れない。
「やっぱり」を英訳すると「I knew it.」になるのがこの感覚に合うなぁと思う。
「知ってたわよ、こうなることくらい」と言った口の中は
諦めと悲しみを混ぜこぜにしたみたいな苦い味がしそう。
そんなことを考えていたら思い出したのがこちら
「絶対悲観主義」
以前読んだこの本の中で著者は「あらゆることについて、うまくいくことなんて一つもない と考えておく」という旨の事を実践していると書かれていて
読んだ時はなるほどーやってみようと思ったものの、
なんともこれが難しかった。
そう、知らず知らずのうちにわたしは期待してしまっている。
自分に、他人に、ものに、出来事に。
期待が自分で認識しているよりも大きいのは、たとえば今日届く予定のECサイトで買ったお洋服。
写真よりずっといい感じの色合いでお値段以上だったらどうしましょう、とワクワク箱を開けて愕然。恐る恐る袖を通してみたものの、なんだこれと鏡の中の自分に言って笑う。
たとえば夕飯が思いがけずうまく作れた日、夫が早く帰宅しないかなぁと思っていたら「誘われたから今日はご飯いらないです」と連絡が入ったのを見て「もう鍋の中全部食べてやる!」と沸々湧き上がる期待を焦げつかせた嫌な匂い。
きっと期待するつもりなくても「ひょっとしたら…」と考えるのは多分その時が一番楽しいから なのかもしれない。誰も悪くないのよね。
「こうだったらいいな」と考えなければ「やっぱりな」と苦々しく吐き捨てることもないけれど、もしもの世界で幸せそうな自分を眺めて楽しむ時間はないから
実はとんとんなのかもしれない。
はーまたやっちゃった、返品しよー と袋に戻されたお洋服も、
相変わらずそこにある取れそうで取れないシミも、
束の間の蜃気楼のような夢を見るための小道具だと思えば
まぁいいだろうということにできそう。
だからわたしはきっと、今日もこの忌々しく重いくせに可愛いピアスを
そっとケースに戻すんだろうな。
いつになったら「期待の小道具」にさよならできるかな。
るる
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