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#168 表現者の中に生きるものに触れる経験がしたい
足がペダルにまだ届かない時分、
おそらく4歳くらいの頃
初めてピアノの発表会に出してもらった。
パニエでふわふわに膨らんだドレスは
水色のレース。
髪には白いリボンを結んでもらって、
わたしはとても張り切っていた。
舞台に立って人前で表現をする。
小さい頃からそういう経験をさせてもらったことを、自分が親になり、今一度別な目線で眺め直すことで
これまでに感じたことの無いような
感謝と尊さを経験したので
忘れる前に書いておきたくなった。
・・・
10年ぶりだろうか、発表会に出させてもらった。
(なんと親子3代で同じ教室にお世話になっている)
あの時のわたしを悠に飛び越して、息子はもう8歳になった。久しぶりにお母さんもどうですか、と昨年声をかけていただいて、
えいやと出る決心をした。
コンクールでも選抜でもない、ただの発表会なのだけど。ここ数年は息子の保護者兼撮影係として行くだけの楽しい行事だったのに、出演者になった途端、緊張感のある催しになってしまった。勝手なもので。
「本日はよろしくお願いします」と舞台袖に入っていくと、懐かしい顔ぶれの先生方に「楽しみにしてたわよ」と声をかけてもらって
嬉しいのと緊張で酸欠の金魚みたいになってしまった。
大きな空間で思い切り弾いたピアノは
素晴らしかった。
音色の幅も膨らみも豊かで優しく
「おおお わたし 今 良い音 奏でてた」
とピアノに助けられる瞬間が何度かあった。
何度も経験したはずの舞台だったけれど
10年のブランクのせいか記憶の中の舞台より明るくて広い感じがした。
ただ正直なところ、弾いている間のことは緊張のあまりよく覚えていなくて、そのことだけが心残り。もっとシンプルに楽しめばよかった!
でも一つだけはっきり思った事があった。
ほとんど1年かけてようやく仕上げた曲を舞台で弾いた時、
わたしは、どうしようもなく “わたし“ だった。
上手く弾けなかった、とかそういうのではなくて
「こんなに丸裸で人前に立ってるなんて!!」と恥ずかしすぎる気持ちで
お辞儀をして袖に引っ込んだのは初めてだった。
上手く弾きたい、間違えずに誤魔化し切りたい、と考える事なく、誰かの真似をするでもなく
ピュアなまでにわたし自身がにゅるにゅると出てきたような そんな感覚。(どんなん?と突っ込まれそう、、笑)
息子と同じ舞台に出られたら嬉しいだろうなーと出ることにした発表会だったけど
「混じり気のない自分自身を人前で表現する」という大変貴重な体験を得た。
そしてそこから、
「音楽や絵画、建築の作品を見て自分の中にイメージをむくむく膨らませる時間、あれは作家の意図の再解釈をしているのだな、
感じたままに言葉や音で表現できないのは
わたしが表現者としての力量を持ち合わせていないからなんだな」と
着想を展開しては一人静かに興奮していた。
(やっぱり変)
アーティスト、表現者と呼ばれる人たちが持つ卓越した表現力にはやっぱりとんでもないエネルギーを感じる。
人の心を掴む、生きた何かを確実に備えている。
しかもそれがバケモノ級なのだ。
だからそれらの上っ面を真似ただけでは、例えどれほど精巧なコピーであっても心に訴えかけるものは生まれないし、受け取り手の中に活き活きしたイメージも湧かないのかもしれない。
「もう良い歳だし、格好つけずに楽しく弾こう」と思って練習してきた何ヶ月間が、実はすごく楽しかった。
挑戦したい曲だったし、ますます好きになれて宝物が増えた気分。
音源、文献、人のレッスンの聴講、その全部がわたしのイメージの糧になって、漠然としていた曲の輪郭をくっきりを浮かび上がらせてくれたのだと思う。初めてこの曲を聴いた時の高揚感とモチーフが残す余韻。フレーズの躍動感と透明感、そしてこの曲を自分が演奏するということへの期待。
全部を聴いてもらいたいと欲張って、形にしようとした結果を発表するのってやっぱり中々勇気がいること!
正直、後から聞いた自分の演奏は粗いし速いしで赤面したのだけれど
紛れもなくわたしそのものだったので笑った。
まだまだ満足のいく仕上がりからは遠いので、何年かかけて試行錯誤を続けていきたいと思う。
自分の話ばかりしてしまったけれど、息子も随分成長し、彼らしさが溢れる良い演奏を披露していた。ありがたいことに先生方にも良いコメントをいただき、彼の自信になったようで嬉しい。
彼が自分の演奏の中に生身の自分自身を見つけるのはいつだろうか。
音楽でなくとも、何かの表現者になりたいと思うことはあるんだろうか。
親のわたしの勝手な希望ではあるけれど
若いうちに、誰かの真似でない生粋の自分を表現するという体験をして欲しいなと願う。そしてそのえも言われぬ恥ずかしさと共に訪れる、表現する楽しみを知って追求するも良し、こっそり研究するもよし。
いつか親子で「あれは最高だよねぇ!」と話せたらすごく良いなと
一人また妄想してしまう母でした。
るる