2人のアレも観たいですが、さておき。映画「さんかく窓の外側は夜」
映画「さんかく窓の外側は夜」を観ました。(アマプラにてレンタル)
BLフィルターで見てしまうと、このポスタービジュアルを見ただけでそれとなく期待してしまうのですが・・・↓
結論から言えば、2人が力を合わせて「幽霊」的なもの(成仏できないアレ)に立ち向かう様子(バックハグ)は、岡田くん演じる除霊できる男冷川と、恐怖に震えながら冷川に身を預ける視えてしまう青年三角(志尊淳)の姿が真剣であればあるほど、ある意味エロティックではあるもののBL(ブロマンス)要素は想像逞しくしないと感じられない、と言うのが正直なところ。
原作漫画は、その瞬間をもう少し感覚的に描いているようなので(エクスタシーに近い)、もっと漫画に寄せてくれても良かったけれど・・・三角を志尊淳さんにしたところであくまでも三角をか弱い存在として描くつもりだったのかなと思う。
ストーリー
過去に何かを抱えているどこか普通と違うクールな男冷川、特異な体質に悩まされ隠れるように生きてきた三角、特殊な能力が芽生えたことで望まない人生を生きることになったヒウラエリカ、この3人がふとしたことで出会い、過去を精算して前に進むまでの話ということだ。
また、呪い、というものの圧倒的な強さ、それが増幅し溜まっていくことで、人々の憎悪は簡単に利用されてしまうことへの警鐘とも見て取れる。これはそのまま今のSNSの裏の顔とも言えるのではないか。
視覚化されることで、冷川がヒウラエリカ(平手友梨奈)に放つ「呪いは自分に返ってくる」などの言葉が自戒を促すものである、と考えることもできる。
ストーリー:幼い頃から「視えて」しまうことで同級生からも異質な目を向けられ辛い思いをしてきた三角(志尊淳)。視力が悪いことを利用してはっきり見える「彼ら」を避けてきた三角だったが、ある日除霊の能力を持つ冷川理人(岡田将生)から見出され、その能力を使って一緒に仕事をしようと誘われる。冷川は言う、「ぼくと一緒にいれば怖くなくなる」。その言葉は三角にとって決して無視できないものだった。
その日から三角は、嫌がりつつも冷川の仕事を手伝って、「清掃」作業を助けることになる。
さんかくが表すもの
主人公の名前にも、タイトルにもあるように、シンボル的に、三角(さんかく)が用いられている。
三角(さんかく)という形は、結界を作るときに用いられることもあるようだけれど、それは人間関係にも当てはまる。3人で形成するトライアングルがいくつも見られるのだ。
まずは、冷川と三角と、見たものしか信じない刑事半澤(滝藤賢一)。視える、除く(覗く)、そして現実的に見る。
さらに、不可解な事件全てに絡んでいると思われる女、ヒウラエリカと冷川と三角。視出して取り除く、という冷川と三角の間柄に、利用して呪い、貯めるという要素が絡む。
ただヒウラエリカも、先生と父親という絶対的な存在と服従するものに、衝撃的な出来事に昇華した才能を利用され、言われるがままになっている悲しき生き物であることがわかってくる。
そのエリカは冷川と三角によって追い詰められ、信じない男半澤が唯一信じている存在の妻冴子を、弱点として見出す。
この様々なトライアングルによって、冷川も三角も過去と向き合うことになり、それがエリカの呪いの原点とも関わってくる。
絡み合い、出会う3人の関係性含め、必然的に出会ったトライアングルの解決には、一定の理解はあるものの、ややファンタジックにならざるを得ない部分は好き嫌いが分かれるかもしれない。
信じること、信じられること
視えることから逃れたいと、自分の能力にフタをしながら怯え暮らしてきた三角。過去に囚われ、人間らしい感覚と関係から距離を置くクールな男冷川。
冷川は、自分の能力と向き合ってこなかった三角に言う、君は自分の見たものを否定するかと。
それは、自分自身を否定すること。自信が持てず、顔を上げられず逃げ続け、モノクロの世界に身を置いていた三角から、才能を見出し寄り添う冷川。冷川としても、これが初めて、信頼し合い関わるという関係性だったに違いない。
2人はお互いに、必然的に相棒として行動を共にし、乗り越えることで一定の絆を深めていく。これはおそらく、どんな関係性も寄せ付けない、唯一無二の感情であるだろう。
誰にとっても万能な人などいない。ただ必要な存在に巡りあい、その個性に惹かれたのならば、認め寄り添う。何もかもから拒絶されたような孤独な2人にとって、出会うことは未来を生きるための必然だった。
相手にとって自分は必要である、そう信じられることほど強いことはない。
たまたま今、霊とか霊力、結界や除霊などに抵抗なく入っていける状態(他にもそういったドラマを見ている)だったので、すんなり入っていけたけれど、ずっと以前であればもう少し見方が変わっていたかもしれない。
でも、今もどこかに、ヒウラエリカが増幅させたような黒い感情が溜め込まれているところは、もっと現実的にもっと手の届く範囲にあるような気がする。そこに触れないためにも、あらゆる手段で己に結界を作る(居心地の良い状態を作る)、自分を信じられる関係性に身を置く、と言うことは大切なのかもしれない。
それより外の世界に踏み出すときには、何があるかわからないことをちゃんと理解し進むことが必要になるだろう。
キャスティングの妙
冷川を演じた、岡田将生さん。個人的にとても好きな俳優さん。器用に何でもこなす、と言うイメージでクールな2枚目から、ちょっと残念な3枚目、原作が漫画だろうが、小説だろうが、オリジナルだろうが、器用にその役になりきる、と言う印象だ。
こういった歪んだ過去を持つ子供の心を内在した大人、という役柄。現代社会に馴染めず、誰とも関わらずに黙々と自分の責務を遂行し、何にも心を寄せないと言うキャラクターをうまく非現実にせずに演じきっていた。
志尊淳さんは、キュートなイメージで漫画っぽい役が似合う人かなという印象だったけれど、今回はその外見に似合わず目立つことを恐れ、自分の抱える闇にうまく向き合えない根暗な青年で、どうしても可愛く見えてしまう部分が逆にその悲哀が色濃く出ていたかなと思う。
キャスティングでももう少し2人の関係に特別なものが感じられるとより良かっただろうなと思った。
漫画の冒頭部分を読む限り、映画を見ただけよりも原作を読んでからの方がストーリー展開をうまく補完できるだろうなと思った。
役柄と役者さんのイメージが重ならないところも多々あるのでそこが邪魔にならなければ、映画を見て疑問が残る人は、漫画をチェックすることで、映画で取り上げられたヒウラエリカとの出会いから原因を探るまでの話はよりわかりやすく理解できるかと思う。
欲を言えば、もう少しじっくり見たかったので同じキャスティングで連続ドラマを見てみたい。ドラマ発で映画へ、はあるけれど映画からドラマというのもあり、と期待しておこう。