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お腹を空かせた君へ

休日の朝、家人がコンビニに行って朝食用の惣菜パンを買ってきた。
それはコッペパンに挟まった卵サンド。

これは前日夜、私が力説したローカルパン屋さんの「懐かし美味し卵サンド」の話を受けてだろうと推測される。

どう言ったきっかけだったのか思い出せないのだけれど、食べ物の話になった。家人と私は食べることが好きなので話題の大半はそう言ったことになる。
その中で私が、お気に入りスーパーにある惣菜で「何を食べても美味しいのに、あそこの卵サンドはイマイチなんだよなぁ」と言うに至った。

そのスーパーは売っている弁当や惣菜は食材から調味料にまでとことん気を配っているから、体にいいことはわかっているのだけれど、おそらくマヨネーズだろう。健康志向すぎて、正直旨味に欠ける。
マヨネーズが阻害する可能性のある「体を健やかに保つ」ことへの罪悪を考慮しても、マヨネーズを食べる時には覚悟して食べたい。
するならば「思い切りマヨネーズしたい」のだ。
きっと徹底的に口に入れるものをこだわっている人ならば、あの「あらゆることに考慮した手作りマヨネーズ」の旨味が分かるのだろうけれど、幼い頃から市販の普通のマヨネーズに親しんできた舌には正直物足りない。

そして家人は聞いてくれたのだ「美味しい卵サンドってどんなだ」と。
私はうっとりと即答する。

「短大時代に食べた、ローカルパン屋の卵サンドはサイコーだった」

今思えば、コンビニのサンドウィッチもそんなにバリエーション豊かではなかった(正直そんなに美味しくなかった)時代。
大学構内の購買で、限りある予算の中で頭を捻って買うお昼にそんな壮大な夢などなかったけれど、ローカルパン屋さんが納入している卵サンドが程よく卵部分がとろパサっとしていて、粉かな胡椒がいい具合に混ざっていて、美味だった。卵部分がトロトロすぎてもいけない、粗みじん切りでも違う、細かく切った卵に程よいマヨネーズ、卵の黄身はしっかり茹でてあるタイプ。
うん、美味しい。

ただし。
これは社会人になる前の学生時代の話である。
それからの私は、社会人となり、上司や先輩らに教わって様々な外食ワールドに誘われ、フグやうなぎ、イタリアンやスペイン料理など多国籍富む、シャレ転ばしたジャンルに飛び込んでいき、今や死ぬ前に何が食べたいと聞かれ「パリのシャルティエの鴨のコンフィ」などとほざく可愛げのない女に成長したので、現在の味覚にどれほどの素朴さが残留しているかは甚だ疑問だ。

ゆえに、今食べて同じような哀愁と感動が得られるのかはわからない。

けれどあまりに私がうっとりと語るので、それが頭にあったに違いない。
家人は、買ってきた卵サンド(コッペパン)をパカっと自宅で観音開きにして、そこに胡椒をガリガリと引いたのである。
まさに!私が語り散らした「あの」卵サンドの模倣品。

それを嬉しそうに一口食べて「食べてみて」と差し出してきた。

この捻くれたところが微塵もない、彼の素直さに心底感動する。

これめちゃくちゃ美味しいよー、と勧められて「ふーん、でも私はいい」などと思わないし、言わない素直さ。それを食べてみたくなる、そしてその欲望を隠そうともしない純朴。自分はそう言うところはちょっと捻くれているなと改めて感じる。

何だか久しぶりに、そのローカルパン屋のサンドウィッチが食べたくなった。
私はすっかり変わってしまったのか、果たして。

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