見出し画像

バリ島でお待ちしています

2019年12月。
それはまだ世界的なコロナウィルス蔓延への危機も感じることなく飛行機に乗って海外へ行けてた頃。
私は、お友だちと2人でバリ島へ行った。

その旅が私のその後の人生を大きく変えることになるとは思ってもいなかった。
私はたった6日間の滞在期間に心を固めてしまったのだ。

「私は、ここに住むことにした」
何の迷いもなく、自分と自分の将来にそう宣言した。


旅から帰ってきて、会う人会う人に「私、バリ島に行くからね」と伝えると皆がびっくりして聞く。
「なんでなん? なんでバリ島にしようと思ったん?」とほぼ100%聞かれる。
本当のところ、たいした理由も無いのだ。
でも、「残りの人生を、この場所で過ごせたらどんなに幸せだろう」と本能で感じたのだ。 ただ、それだけなのだ。
強いて言うなら、年中アレルギーで鼻が詰まっている私が、デンパサール空港に降り立ってしばらくすると嘘みたいに鼻が通ったのだ。
自分でも驚いた。 鼻が詰まってないということはなんという幸せなことなんだ。 
バリでの時間が過ぎていくとともに、どんどん身体がほぐれていくような感覚だったのだ。

しかし、2019年12月旅から帰ってからした「バリ島で住む」宣言はその後、2年半の強制待機を強いられることになる。 
はい、そうです。 covid19です。
本当なら翌年の春休みと夏休みは子供を連れてたっぷりバリ島で過ごすはずだったがそれも叶わず。

バリ島での時間を思い出すと、いつだって泣けるくらいに恋しい。
青い空、色濃い緑、爽やかな風、バリ人の笑顔。 そして遠くから聞こえるガムランの音。
最後のバリ島からもう2年半が経とうとしているが、私の心は全く冷めること無く、燃え続けている。 
なんなんだ。 この気持ちは。
そこで私は何をしようとしてるんだ。 
なぜこんなに呼ばれてるんだろう。 答えはもちろんまだわからない。

きっと数年かけて日本とバリ島を行ったり来たりしているうちに何かが見えてくるのだと信じている。
あんなに憎いと思ったこのコロナ禍で海外に行けなかったことも今思えば、良い時間だったのだろう。
この期間中にもインドネシア語を勉强したり、バリ島で住みながら生活費を稼ぐ手段を模索する時間を作れたのはよかった。
何より、バリ島へ行くことに対して一度も冷めない気持ちを持ち続けてる自分と出会った。
それがまた、自信となって心を保てた。

バリ島に行ったら何をしようかな。
日本ではフォトグラファーをしている私だが、インドネシアの就労ビザを個人で取るのは至難の技ということもあり、まずは一旦カメラを置くだろう。

でもきっと、写真が撮りたくなってブライダル会社に雇ってくださいと言いにいくかもしれない。

日本からたくさんのお友だちやお客さまが「遊びにいくからね」と言ってくれてるので、もしかしたら撮影付きのツアーコンダクターみたいなことをしてるかもしれない。 インドネシアルピアは稼げないので、その場合は日本からのお土産(食料! 笑)で対価交換となるな。
考えるだけでワクワクする。

私はどんな顔で笑っているのだろう。
大好きな空間に身を置く45歳の私はどんなだろう。 50歳の私はどんな女性なんだろう。
さぞかしご機嫌に過ごしていることだろう。


そして、私はこの2年半、温めたバリ島への想いを胸に、8月に2週間行くことにした。
ついに、ついに行けるのだ。
また、あの幸せな島へ行けるのだ。
心が弾む。 飛行機のチケットを取ってからというもの、私は本当に毎日笑っちゃうぐらいご機嫌なのだ。
私が好きなバリ島を夫と息子にも紹介したい。
海外が苦手な2人にバリ島を好きになってもらいたい。
「ここに住む未来もありかもしれない」と思ってもらえたら大成功だ。

さあ、動き出すぞ、私の人生。
若いときからずっと憧れていた海外で生活すること。
親の大反対を受け、10代で叶わなかったからもう叶うことはないのかなって思ってた。
それでも仕事で海外に行けてたからその状況に自分を納得させようとしていた。
2019年にバリ島に行くまでは。
そこで何かの蓋がポンっと音を立ててはがれ落ちてしまったのだ。

「私は、この感情を自分のために大切にしなくてはならない」そう直感したのだ。

まずは8月に行ってきます。
そこで、長期間バリに住む自分を強烈にイメージしてきます。
何も不安はない。
ここから、私の人生は大きく変わる予感です。

固定観念にとらわれず。
直感を信じて。
自分を信じて。

私、ひろこはバリ島でお待ちしています。
皆さん、遊びにきてください。
バリで写真撮らせてください。
お米、持ってきてね(笑)!







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?