王道にして新しい。これがボーイズラブの”今”だ。<ボーイミーツマリア>
第1冊目の紹介〜年始の挨拶に代えて〜
前回からしばらく時間が空いてしまった…(早速私の怠惰な面が露呈している)。皆様明けましておめでとうございます。どうも、BL好きのJALです。
怠惰で飽き性な性分なので、早速本来のBLのお話を始めることにしましょう。
前回までのご挨拶で、悩みに悩み抜いた記念すべき第1作ですが、もうやはり私がBLに置いて最初に語るべきはこの作品を置いて他にはありません。まずはリンクからぜひ見てください、この美しい表紙を。
『ボーイミーツマリア』PEYO著(2018)
この作品はこれからBLに興味ある人でも、BL玄人でも貴腐人の方でも、少女漫画好きでもただ面白い漫画を探している漫画ハンターの方でも、もう兎にも角にも読んでほしい一冊です。読んで欲しさ極まりないです。
BLはやはり門戸も広ければ底なし沼でもある懐の深いジャンルだと常日頃からしみじみ感じているものの、今まで商業BL漫画を1000冊ほど読んできた自分でさえここまで万人に勧められる作品というと中々無いな〜と思うのが正直なところですが、ボーイミーツマリアに関しては太鼓判を100回押しても大丈夫なことは私が保証します。マジで。
ボーイミーツマリアは個人的に2018年BL大賞と言っても過言ではないレベルなのですが、もう昨今のBL的に言えば王道中の王道でありながら、王道とは少し違うところが万人におすすめできる最大の理由かと思います。というか、王道なのに少し違うって、そんな漫画面白いに決まってるんですね。最高。
幼い頃からヒーローに憧れる大河は、高校に入学し運命の女の子と出会う。その相手は、演劇部のマドンナ・通称「マリア」。公演で一際目立つマリアに一目惚れした大河は、出会ったその日に自分のヒロインになってくれと告白するも、あえなく玉砕。評判の美女は実は男だった──。(『ボーイミーツマリア』背表紙より抜粋)
あらすじとしてはこうなのですが、BLプロとしてこの画面を開いている方々からすれば「あ〜男子高校生モノの結局『男とか女とか関係ない、お前が好きなんだ』に落ち着くやつね」と皆さん思われると思います。だがそうじゃない、そうじゃないんだ。そうだけどそうじゃないんだ。(2回目)
「お前だから好きなんだ」が持つロマンチシズムは同時にマイノリティに呪いをもたらす
こういうのって大概「お前だから好きなんだ」に恋愛的感情が帰結させられてしまうことが非常に多いんですが、よく言えば性別関係なく相手の内面を見て好いているとも取れますが、結構性別に関する議論を放置している作品もちらほら見かけます。「お前だから好き」は男性としての対象を肯定している文脈の作品もあれば、例えば「俺はゲイじゃないけどお前だから好き」という文脈に使われてしまう=お前が特別なのであって俺は性的マイノリティではない、という主張に使われちゃうこともあるわけです。これは最近は少なくなりましたが、少し前(10年前くらい?)の作品であれば散見された描写かと思います。でもよく見られただけあって、こういうセリフはもはやBLでは十八番であり定番、かつ王道展開なことはBLプロや、ちらっとBL的作品を見たことがあるという人ならお分かりいただけるのではないでしょうか。
しかし、これはかつて「男を好きになる」ことを「おかしいこと」と捉える世の中で、どうやってキャラクター(ともすれば読者に)に同性を好きになる心理的ハードルを低くしてもらうか、という難題に対するひとつの模範的回答でもありました。だからこそ王道になりえたわけです。
ただ、こういった王道が支持される構造としては基本的にヘテロセクシュアル(=異性愛者)であると自認している男性メインキャラクターが一人と、読者層の多数を占める女性の異性愛者という前提があってこそかと個人的には思います。勿論同性愛者の方もいらっしゃったとは思いますし、実際私も自身が異性愛者だと思っていた頃は衝撃的、かつ美しくすら思えたセリフでした。けれども大人になった/あるいはよりLGBTQ+の声が大きくなった現在では、このロマンティックに思える「俺はゲイじゃないけどお前だから好き」的展開は、同性愛者自身にホモフォビア(=同性愛嫌悪)を植えつけてしまうという側面を有していることは否めません。
参考までにお話しておくと、パンセクシュアルという性的指向が存在します。簡単に言うと相手の性的自認や性的指向などに捉われず、好きになった人が好きというものです。その為、厳密に言えば「俺はゲイじゃないけどお前だから好き」はパンセクシュアルだと自覚していないキャラクターによるセリフという解釈も可能ですが、ここでは各作品の文脈を踏まえ、またパンセクシュアルが当時あまり知られていない概念であることを考慮するとその可能性は限りなく低い(というか、概念を知らずともそう意図されたキャラクターであれば相応の描写があると思うので)と考えて、その可能性は除いて話を進めています。悪しからず。
本編について
前置きがむちゃくちゃ長くなってしまいました。反省。それでは本編の話をしようね。
ボーイミーツマリアで主軸となるのはヒーロー願望のある能天気猪突猛進キャラの大河と、その整った容姿と演技力から演劇部で女性役を演じている有馬(マリア様というあだ名で呼ばれている)というキャラクターなのですが、まずこの有馬がなかなか難しい。彼が女性役を演じているのには理由があるのですが、幼少期のトラウマや自身の中でぶつかり合う性への葛藤と戦っては傷つき、悩み、その為に「男性としての自身」では舞台に立てない。
舞台に立つのって緊張やら色々あるのは勿論ですが、何より自分が演じる役と齟齬が無い状態じゃないと人前に立てないんですよね。自分の行動一つ一つが役と噛み合ってないと、価値基準が二つ存在してしまうことになるので、一歩も動けなくなってしまう。そんな特別な場所だと個人的には思っているのですが、有馬の場合はそれが「そもそも自分は何者であるのか」という問いに起因している。彼はここが宙ぶらりんになってしまっていて、一時的に男性として授業に、あるいは女性として舞台に出ることは出来ても、どちらも自分であると肯定することが出来ず中途半端な存在だと思っている。だからこそ最初に女性だと思って告白してきた大河を「表面しか見てない」と一掃し、男性と分かっても好意を向けてくる彼に罪悪感にも似た嫌悪を抱いてしまう。
ボーイミーツマリアの何が良いって、この「そのままのお前が好きなんだ」と投げかけに対して「そのままの俺って何だよ」と問い返す漫画だというところなんですよ。もうこれがむちゃくちゃ良い。皆だって一度はそう思ったことあると思うんですが(脳内開始)「そのままの君が好きだよ」〜♪ 夕日をバックにロマンチックなBGMが流れてこんな風に誰かを愛し愛されたら幸せかも〜でもそのままの自分って何じゃい。(脳内終わり)
この問い返しには長年BL界を縛ってきた古き良き伝統をすぱっと切るような気持ち良さがあります。誰もが思っていたけれど、うまく口に出来なかった、何より「そのままのお前が好きだ」とか「お前だから好きだ」とかいう全面受け入れ包容力宣言をされてそれを無下に断れる人間なんてまずいないんですよ。できるとしたら「あんた俺の何を知ってるわけ?」という展開のみになってきます。(実はこれまた少女漫画では割と王道で、イケメン故に人間不信な二枚目がよく言うやつですね。)
ただ、BL界では相手に面と向かって「男だけど好きだ」と臆せず言うこと自体が既に関門突破なので、言わせるまでが作家の腕の見せ所でもあり、そうした関門やハードルの低い少女漫画で起こる王道展開は実はあまり見かけないため、なんて言うか非常に新鮮かつ新風を感じました…良きです…。(小並感)
ちなむと筆者が少女漫画を読み込んでいたのは(スイッチガール/君に届けまでがギリ)10年前までなので、最近では勝気なヒロインが無愛想イケメンに私と付き合え!とか言う作品はなくなってきた気もします。ううむ。というか、冷静になると少女漫画でも好きだというまでは腕の見せ所なことに変わりはないので、うーん、己の分析の浅さに頭を抱えるしかねえ。
でもやっぱりあんまり見ないね!BLだとね!新鮮だね!最高。
『僕のことを「女として」好きなのか、「男として」好きなのかどっちなんだっつの』
また少し脱線してしまいました。で、ここでやはり面白いのは「俺の何を知ってるわけ?」に「そんなの俺だって自分が何者か知りたい」という叫びが入ってるところなんですよね。ここが有馬というキャラクターの非常に魅力的なところだなあと思います。大河のがむしゃらにぶつけてくる好意に対して、有馬は『僕のことを「女として」好きなのか、「男として」好きなのかどっちなんだっつの』と聞き返しますが、性別に縛られてるのは何より有馬自身なのかなと。どちらも認めて欲しいけれど、どちらも自身が認められない。そうした自己否定が、大河との交流を通してどう変わっていくのか…。必見です。
そして何より大河が猪突猛進直情キャラでありつつもきちんと奥が深い。もうこれはあんまり言うとネタバレになってしまうので言えませんが、メインの猪突猛進キャラがこんなにきちんとした伏線力を持っているパターンってあまり無いと思います。ワン○ースのルフィぐらいじゃないか。
既に読まれた方はお分かりかと思いますが、大河も真っ直ぐな子でいて少し歪です。色んなものに蓋をした結果、同世代からも浮いてしまっている。でもそんな彼と、有馬との化学反応が演劇を通して生まれていくのが本当にたまらなく面白い作品です。
BLは自身の性と向き合う場所
そもそも読書をする時、人は感情移入などで自身の内面と自然に向き合います。瞑想などにもよく似ていて、内面と向き合う時に精神的にスムーズな繋ぎをしてくれるのが本という装置であり、場所です。それで言えばBLを読む時、読者は自身の性に好むと好まざるとに関わらず、無意識であっても向き合っていることになります。自然、作者が性についての生半可な描写をすれば、すぐに読者は冷めてしまう。
※ここでの性についての描写というのは、性行為としてのSEXの描写などに止まらず、性差による発言からキャラクターのライフプランまで、日常における性=SEXが関連する全ての描写を指します。
だからこそ性について優れた作品が多いわけですが、その点で言えば、個人的な所感ではあるものの、ボーイミーツマリアは本当にかなりしっかりしている作品ではないかと。大河と有馬の幼少期の描写を初めとして、細やかな配慮がなされているのが本当によく伝わってきます。とてもこれが10代の時に始まった作品とは思えません…。いや、むしろ一番新しい価値観を持っているからこそ、今あるBLの一つの到達点を描けたのかもしれません。頂点というとBL作品は千差万別あるのでそういうものは言えないのですが、今のBLはまさしくこうした作品を生み出せる位置にいるのだと言わしめる漫画だと思います。本当にすごい。実は卒論(しかもBLがテーマ)でヒイヒイ言っている時に出会った作品なのですが、誤解を恐れずに言うと求めていた作品に出会って脳汁がドバドバ出ました。開く1ページ1ページに殴られているような衝撃。無駄なコマが全然無い。
ちなみにジェンダーオタクが早口で喋り続けているような部分だけでなく、胸キュンを求めている人もめちゃくちゃ満足できると思います。あのですね、有馬くん、めちゃくちゃかっこいい。安心してください。めちゃくちゃかっこいいです。作画の丁寧さもあって半端じゃ無いですね〜。こういうポイントを失念しがちなので気をつけたいと思います。まさか教卓は予想していませんでした。最高…。
タイトルも秀逸
マリア様、という一種の救世主像をうまく落とし込んだタイトルだなあとつくづく思います。マリア様はヒーローなのか?そして”救世主”に救われたのは誰なのか…。答えはぜひご自身の目と心で感じられることを心よりおすすめいたします。
この作品が気になった方はネットでも、あるいはぜひ書店で購入かお取り寄せください。ちなみに書店でのお取り寄せは、客層がいることの意思表示になるので、何回かやっていくと最寄りの書店を自分好みに改変していく面白さがあってこれまた脳汁がドバドバ出ます。やったことの無い方はぜひお試しあれ。
最後に(PEYO先生への挨拶を添えて)
ここまで読んでくださってありがとうございます!!!!!!この駄文乱文長文を最後まで読んで頂けただけでもう平伏しきりです。というか、これはちゃんと作品の魅力について語れているのだろうか…。正直、読み返せば読み返すほど書きたいことが出てきてしまうので、やっぱりご自身で読んで頂けるのが一番かなと思います。この作品がどう他の作品と違って、どこが面白いのか…微力ながらも伝えられたら幸いです。
予想はしていましたが、あまりにもとっちらかってしまったので、やはり○○度:☆☆いくつ、みたいなわかりやすいシステムを導入するか迷いますね…。こうしたことが初めてなので、もう少し試行錯誤していきたいと思います。しばらく読みづらいかと思いますが、長い目でお付き合いいただければ嬉しいです。
次からは年末年始に買い込んだ漫画の話でもできれば。
それではまた次回!
そして、昨年8月に亡くなられたPEYOこと恵口公生先生へ。
初め、訃報を聞いた時は本当に信じられず、しばらく経ってから泣いてしまいました。今もふとした時に急に感情が抑えられなくなる時があります。ボーイミーツマリアがデビュー作だということは知っていたものの、こんなに若い方だということも知りませんでした。ほとんど同世代だなんて、とんでもない方ですよね、本当に。本当にすごい方だったんだと思います。現実的にできるかはさておき、一度ぜひお話してみたかったです。
昨年6月、このnoteを始めようと漠然と考えていた頃は、どの本から紹介するか悩んでいましたが、今思うとPEYO先生が生きていたとしてもやはり「ボーイミーツマリア」を一番初めに紹介していたのではないかと思います。
改めて今、なんだこの漫画、こんなのがデビュー作なんて冗談だろ…と思ったことを思い出して笑ってしまいました。本当にとんでもない方だと思います。本当に、本当にすごい方としか言えないのですが、こういった作品を書く方がもう居ないと思うと涙が止まりません。
いち読者として、こんなことしかできませんが、この素晴らしい作品がもっと多くの方の目に止まりますように。先生のご冥福をお祈り申し上げます。
JAL
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