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自分の悩みに対して無責任だと可能性を求めたくなる

みなさん、こんにちは!

るる👾(@lulu_re_love)です。


よく

「自分磨きすれば、復縁の可能性はありますか?」
「余裕が持てれば、彼とうまくいきますか?」
「ネガティブを直せば、辛くなくなりますか?」

など、可能性の有無についてのご相談を受けます。


正直に言うと、この時点でわたしは「相談というテイで感情をケアされたいんだろうなあ、安心したいんだろうなあ、自分の悩みに対して無責任だなあ」と感じてしまいます。

悩み解決の観点から見ると、まったく本質を捉えていないから気にする意味のないところだし、「~したい」という気持ちだけ立派なものの、自力で目標達成しようと努力する姿勢や覚悟が見えないからです。


「~したい」は、自分がやりたいことに対する感情(意志)ですよね。可能性があろうとなかろうと、自分がやりたいならやる、ってだけの話だと思うんですよ。

だから、可能性を聞かないと行動に移せないなら、他人にモチベを上げてもらわないとやれない程度のことなら、「そもそも本当にやりたいと思ってるの?」「自力でやれないならその程度のモチベなのでは?」と、わたしは感じてしまうんですよね。

仕事などのチームワークならまだしも、自分のやりたいことに対してはモチベ管理も自己責任。

それなのに、他人に可能性の有無を問うということは、自分がやりたくてやってるのではなく、自分がやりたいけどモチベが湧かないから、”(可能性の有無を原動力にしようと他人に聞くことで)他人にやらせてもらおうとしてる”ことになるわけです。

つまり、自分の悩みに対して無責任だから、他力本願な意識が出てきてしまい、他人に可能性を求めたくなってしまう、ということ。


■可能性の有無を聞きたい人がまず考えるべきこと

「自分のやりたいことに可能性はあるかな…。誰かに聞いてみようかな…。」と思う人に、まず考えてほしいのは

「もし『可能性がない』と言われたら諦める決断をできるのか?」

です。


可能性がないと言われても諦められないと感じるなら、可能性について聞く必要ないですよね。

そもそも「やりたい」という選択肢しかないんだから、「やる」だけです。

「一応…」と思って、いざ可能性を聞いても、「可能性は低いです」「可能性はありません」と言われたら、モチベが下がったり不安が大きくなるだけで、可能性を聞くメリットがまったくない、むしろ、聞かなければなくならなかったモチベがなくなるデメリットすらある。


■可能性はどこまでも可能性でしかない

可能性の有無を聞く人って、絶対に色々な人に聞きます。

さらに、可能性の有無を聞く人に限って、そこまで大した努力をしてないし、可能性の有無を聞けたところでどうにもなりません。


「可能性はあります」と言われて、可能性があるなら頑張ろう!とスムーズに行動に移せる人はまずいないし。

「可能性はないです」と言われて、可能性がないなら諦めよう、と潔く諦められる人もまずいない。

なぜなら、「可能性を聞くこと」で得られるのは、一時的な安心か落ち込むきっかけくらいで、可能性はどこまでも可能性でしかないことを、なんだかんだ本人が一番よくわかってるからです。


経験上、「可能性がある」と言われて喜んでも、それによって上がったモチベは数日くらいしか保てず、数日後にはまた不安になって可能性を聞きたくなります。

また、「可能性はない」と言われて落ち込んでも、ここまで言われたらさすがに諦めようと思えるのも数日くらいで、実は可能性があるんじゃないかと数日後にはまた可能性を聞きたくなります。

「可能性アリを聞くことで安心してイケる気になれる」「可能性ナシを聞いて落ち込んで無駄に悩んでエネルギーを消耗することで頑張った気になれる」だけで、可能性を聞いたところで悩みは解決しないんです。

ちょっとした一言なのに…と思うかもしれないけど、わたしは自分の言葉を、一時的なモチベだったりや頑張った気になれるだけで消費されたくないんですよね。
それをしてほしいのであれば、それをしてくれる優しい人のところへどうぞ、って感じ。


重症になると、この何かしらやったような気になれる一連の流れ自体が目的になってしまい、一向に行動せず状況も変わらないまま、ずっと悩み続ける人もいます。

最もわかりやすい例が、

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