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柔らかい毒

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#ジェンダー

いろいろなところで、女性が自分の意見を言ったり、物事を決めたりする事は、以前より増えている。
でもまだまだ、そこにやらせてあげる感と、やらせていただいている感があってモヤモヤ。
意思決定の権利は、誰かに与えてもらうものでなく、本来あらゆる人が持っているものなんじゃないかな。

自分自身をアップデートすればいいだけのことなのに、なぜ他の人に押し付けようとするのか。社会正義は方向を間違えると、恐怖に向かう。

言い訳

言い訳

忙しいとか、疲れてるとか、優先順位があるとか、あれが苦手とか、これが怖いとか、言い訳を考えるのは簡単。

弱い人ほど、いくじのない人ほど、山ほどの言い訳を考え出すのがうまい。

びびってるから、ずっと同じところで立ち止まってるから、成長しない。
一見もっともらしい嘘を何度も重ねて、一方的に理解を求める。

でも、私はそうしない。だって、私はちゃんと説明できるから。私はびびってるアンタたちより弱くな

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ジェンダーの不平等は、1部女性が保っているんじゃないかと思う時がある。
今までの習慣に固執したほうが楽だからだ。新しいことを受け入れるよりも、自分が正しいと思い込んでいる方が楽だからだ。
でも、なぜ、新しいことを受け入れたら負けだと思うのだろう。
手放した方が楽になれるのに。

見方を変える、角度を変える。

ジェンダーと言う表現を使わない方が、ジェンダー平等が伝わりやすいこともあると気づいた。
昔のお母さんは、今よりもうんと虐げられていたとか、女の子は、男の子よりも1段低い地位にいた、とか。
女性は家族のために強制的に売春させられたり、口減らしのために捨てられたりした、だとか。名前すら適当につけられていた、とか。
自分で作ったご飯を1番最後に食べて、朝は誰よりも早く起きて、夜は誰よりも遅く寝る、とか。

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正義の義務

正義の義務

人権やジェンダー関連の活動家や研究者の中には、まずは、有資格者による心理カウンセリングを受けたほうが良いと思う人がたまに見受けられる。
個人の経験を一般化する事は有害だし、自身の経験を他者に投影することも、危険だ。社会通念を固定化し、新たな社会問題や、偏見を生み出しかねない。

正義を理由に、他人の人生を否定する権利や、コントロールする権利は誰にもない。
なんぴとも、喪失体験を理由に、社会に復讐し

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ときおり、ジェンダーに激しくこだわる人たちの中に、子供時代、ジェンダーにまつわることで、著しく傷つけられた経験を持つ人がいる。
しかしその行為が、必ずしも実情を現しているわけでもなく、あくまでその子供が1番傷つく言葉を選んだに過ぎない場合もある。
本質を見失ってはいけない。

バイセクシャルだからって、知らないうちにセクシャルマイノリティや、LGBTのカテゴリに当てはめられたり、シンパシーを感じられたりするのもしんどい。私はわたし。それ以外の何物でもない。

ポリティカルコレクトネス。日本語に訳すと政治的に正しい表現。
でも、みんながみんな政治的に生きているわけでもないし、正しく生きているわけでもない。決まった表現を押し付けるのは、ひとつの表現の自由の破壊。
少なくとも私はそう感じる。その自由を許してほしい。

思えばアメリカの人種問題って、世界中に飛び火してるよね。
ポリコレもいいけど、自国で解決してくれないかな?アメリカンスタンダードは、ワールドスタンダードじゃない。
社会問題を輸出しないで。

過去のジェンダーが作られたものならば、現代のジェンダー概念もまた、作られたもの。