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17年目の『オペラ座の怪人』

チャリティの一環で、イギリス時間の金曜から48時間限定でYoutube公開されているアンドリュー・ロイド・ウェーバー版ミュージカル『The Phantom of The Opera(オペラ座の怪人)』を鑑賞したので覚書。
最初は作業用BGMにするつもりで開いたのだが、映像の良さと(公式だもんね)寄りの画面で演者の演技が良く見えるダイナミックさに、結局作業はあまり進まず最後まで鑑賞してしまった。2011年の25周年版のときの映像とのことで、最後のアンコールは大変豪華でしたね。サラ・ブライトマン、Angel of musicぶりがすげえ。

(年初に今年は更新頻度を、、と書いていてようやく書けた。良質なコンテンツはやはり何か書きたくなりますね~)

この作品の鑑賞は4回目。1回目は2002年10月のロンドン。2回目はそのあと公開された映画版。調べたら2004年とのことだった。3回目は2012年10月のニューヨーク。
最後に観たのは、アメリカ留学時代で、ブロードウェイがほぼ初めてという友達の付き添いのような気持ちで鑑賞。しかし、観終わった後「あ、やっぱこの作品傑作だわ」と思ったことを強烈に覚えている。あと、「ラスト、なんかよくわかんなかったけどラウルとクリスティーヌが無事に逃げられたね」と友達と帰りに話したということも。

今回は、The Point of No Returnが終わったあたりから、このラスト、結局何が起きたのかをちゃんと理解しようと思い、作業用PCを閉じて映像を流していたSurfaceの画面に集中してみたのです。留学直後だった2012年当時よりもリスニング力上がってるし。たぶん。

で、結論。2012年に自分が見たものと、今回のYoutubeで自分が見て理解したことに違いはなかった。ラウルが人質になった中、ファントムがクリスティーヌに結婚を迫る。クリスティーヌはキスで応える。ファントムはそれにうろたえ、追っ手がくる中で二人を開放する。それだけ。

見ている景色は変わらない。ただ、そこにある感情の動きは理解できるようになった。成長したのは自分の英語ではなく(いやそれもちょっとあったけど)、鑑賞する自分の内面だった。

おそらくこれはいろんなところで書かれていることで、今更新しい視点でもなんでもないのだが、ファントムは身体こそ立派な成人(かつ、たぶんおじさん)でありながら内面は幼い。自分の要求を通すことが一番で、そのためには手段を選ばない。周りも見えない。おそらく、ここまでファントムを支えてきたマダム・ジリーに対し、感謝を示すこともない。心身ともに、自分の世界だけで生きてきた人間だ。
(ところで、そんな狭い世界で生きてきたファントム、なんでクリスティーヌとデュエットするときのあの手つきがやたら色っぽいのか疑問に思っているのだが、きっとこれまで劇場のいろんなaffairをこっそり見続けてきたのではないか、という推測で自分を納得させることにしている)

そんなファントムが激しくほしいと願い、そして結果的には手に入らなかったクリスティーヌ。最初は力で手に入れようとするものの、それはかなわない。力で手に入らないものがあること、でもその一方で自分の望んだ形ではない「愛情」があること、それをあのキスでファントムは理解したのだ、と私は今回の鑑賞で解釈した。

好かれている/愛されているのは事実だけど、それが自分の望む関係につながらない、それってつらいよねえ、ファントム。私も、それがわかるくらいには大人になっちゃったよ。

かつて、私が記憶していたクライマックスでは、最後のデュエットで、クリスティーヌはラウルと無事に抜け出せたことを喜んでいるイメージがあった。しかし、今回、しっかりと、クリスティーヌ側にもファントムに対する未練というか、気持ちがしっかり残っていて、それでもラウルを選択したという風に見えた。でもその気持ちは、恋愛とは確実に違う、父親に対するような気持ちと、同時にその心の幼さと貧しさを案ずる気持ち、対人間としての「情」とか「愛」なのではないか。そのように考えを改めなおすことができました。


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