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【3分で読める#15】そうか、本当の宝石は水だったのか

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そうか、本当の宝石は水だったんだね

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 もうずいぶん前のことのように感じるのだけど、夏の暑い日にビニールプールで子どもと遊んだ。子ども2人(5歳姉と2歳弟)が遊んでいるのを、そばで見てるのも良かったが、その日はかなり暑かったので、自分も一緒に入ることにした。

 家のカーポート下にビニールプールを敷く。プールの形は長方形で、長辺は150cmほどあるだろうか。自分の肺活量を信じていないわけではない。しかしだ、このサイズを膨らませるには何かを失う覚悟が必要かもしれない。
 ということで、電動モーターで空気を入れる。

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 その日は本当に天気が良くて、そして暑かった。子どもたちはビニールプールではしゃぎまくる。ついつい自分も楽しくなってはしゃぎまくる。立水栓からホースを伸ばしてきて、噴水ごっこやら局地的豪雨ごっこやら、とにかく水を全身に浴びて楽しんだ。
 ひとしきりやると、さすがに遊び疲れた。ビニールプールに横になって、仰向けで空を眺める。その日の空は、青さが違う気がした。ホースから吹き出す水は太陽の光を跳ね返し、まるで宝石のようにキラキラしていた。となりで一緒に横になっていた娘がぽつりと言った。

そうか、本当の宝石は水だったんだね

 5歳児から不意に飛び出す詩的な言葉に、ハッとした。
 水がまるで宝石のようだと思うことと、宝石は水だったと気付くのとでは、それは似ているようで全然違う。世間一般では、水は宝石ではない。

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どんなに高いワインより、喉が渇いた時に飲む冷たい水の方がうまい。どんな豪華な料理も、お袋が握ってくれたオニギリに敵わないことだってある。

 北野武さんが、著書の中でこんな様なことを書いていた。すべてのものの価値を決めるのは自分自身なのだと、私はこの言葉をそう解釈している。
 自分が特別なものだと思えば、それは誰がなんと言おうと特別なものになる。金銭的な価値は、相対的な指標でしかない。自分は、いつから水が宝石だと信じられなくなったのか。

 2歳の息子は、そんな自分の感傷などつゆ知らず「シュッポコーン!シュッポコーン!」と叫びながら一人で電車ごっこをしている。

いや、シュシュポポだろそこは。


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実はこの体験をお話に込めたのが以下の記事だ。
普段ウンコやらチンコやら言っているぼくが大真面目に書いた。
お時間ある時にボチボチ読んでくれるとうれしい。


100円→今日のコーヒーを買う。 500円→1時間仕事を休んで何か書く。 1,000円→もの書きへの転職をマジで考える。