横浜のインターナショナルスクール
前回からめちゃ間が空いてしまいましたが
改めて自分の中にあるモノを表現していきたいと思いますのでよろしかったらお付き合い下さいね。
私は母が35歳の時、その当時は高齢出産で生まれた子だったのでわりとわがまま放題。癇癪を起こして本をぶちまけたりした事もあります。ただ不思議ちゃんで小学三年生の頃授業中気がつくと窓の外を見て授業は上の空、その時通っていたインターナショナルスクールのシスターからは″あなたはポワンちゃんねぇ″と言われていました。
その頃はなんだか周りと自分は少し違う気がすると思ったりしていました。幸い私が通っていたインターナショナルスクールは個性を伸ばしてくれる校風だったのですごく居心地が良く、今でも素晴らしい学校だと心に残っているのはシスターが皆暖かく修道会が元々はドメスティック・バイオレンスの被害に悩む女性の駆け込みを受け入れていたから。スペイン系の修道会が母体で授業にスペイン語もあってクリスマス会でスペイン語の唄Campana Sobre Campanaなどに合わせて踊ったりシスターがカスタネットをフラメンコのように全指を使って速弾きしたりしてすごく楽しかったのを今でも覚えています。
当時は横浜唐沢にあったサンタマリアインターナショナルスクールは老朽化に伴い廃校になって今はマンションに。校舎の屋上にあったマリア像や敷地内修道院の名を残してくださった施工会社様には心から感謝をしています。何年か前に仲の良い幼馴染の同級生とそこを訪れた時に懐かしさとそこに残る面影に胸が熱くなりました。
サンタマリアスクールの音楽室にはバイオリン🎻が数台あって小学高学年の時にバイオリン部があり、1~2年所属していました。年に2回くらい横浜国際文化会館で色んな学校が集まっての合唱イベントにも参加し、サウンドオブミュージックのMy favorite thingなどを歌ったり、思えばその頃から楽器に触って音を奏でたり声を出して歌うことが大好きなレムリアっ子だったと思います。
私が小学6年の12歳の時に心臓弱かった父が心筋梗塞で亡くなり、その後は数年ほど母と祖母の三人暮らしが始まります。その次の年は学年でいう7年生と8年生が日本学校で言うところの中学生、インターでいうJunior Highschoolでは小学校までの純真らんまんさが影を潜めてしまい、自分の悪い点に目がいってしまうようになります。
この頃は着る物にも無頓着で母が着てるものを借りたりしてちょっと老けて見えがち、高校の夏休みバイトしようと面接に行ったらお子さんいくつ?って聞かれてびっくりしました。履歴書に17歳って書いてあるのに〜と今では笑い話ですが(笑)。インターなのでダンスパーティーが年4回各学年主催であってチークダンスに男子の誰からも誘われないのは私だけ、その頃に私はモテないし誰からも選ばれないという決めつけに囚われ始めました。これがなかなか頑固でだいぶ自分を大切に出来るようになった今でも掘り起こすとそこら中にいたりします。好きな人が出来ても期待して傷つくのが怖くてきっと悪い結果に終わると想像して、あぁやっぱりねって思ってしまっていました。
今までとても長い間私は自分の事を気の利かない駄目な人間、〇〇ちゃんのように可愛く社交的でもない、周りの大人に怒られてばかりで人の顔色を伺ったり周りに合わせなければ仲間に入れてもらえないと思い込んだり愛されたいと思いながらも外ばかり気にして自分の内面を見つめようともしていませんでした。それは謙虚な事なんだとずっと思考をすり替えて自分を安全地帯に囲い込んでいました。
誰か異性に想いを寄せたり、この中から好きなもの選んで良いよって言われたりした時に″あぁ自分に良い結末があるわけがない″と思い込みが走り、勝手に脳内で振られた場面や悪い結果に終わった自分を想像して″あぁ期待しないで良かった″と基本ネガティブマインドが発動していました。
ある時当時ほのかに思いを寄せた幼馴染がもう一人の仲良し女子と私の知らない話題で談笑していた時に″私は除け者なんだ″とまたネガティブマインドが発動してしまい、帰り際にギクシャクしてしまった事がありました。その時に自分から″なになに?私にも教えて〜″と動いていたらきっと違う結果になった、もっとポジティブになりたい❢と思考が切り替わったのです!
そこから自分探しの旅がやっとスタートします。✨️✨️✨️✨️