地元にいる何でも聞けるお兄さん

SOLOでは「資格対策の先までサポートする」というように決めています。というのも、IELTSやOETはあくまで中期目標であって、本当に大切なものはその先にあるからです。

このように書くと聞こえがいいですが、正直なところ英語の勉強という "人生の点" でのみで人と関わるということに対してモチベーションが湧かないというのが本音です。

教育サービスは、その人との関係性が非常に大切です。自分が好意を抱いている先生の授業は有意義に感じますが、そうでない場合は地獄。初対面の先生は「本当にこの人で大丈夫かな?」と、自然とジャッジにかけられます。

もしも自分が英語資格のサポートを受けたとして、やっとの思いで合格した後に待っているのはエージェント探し。想像しただけで気が重い。

こんなこと言うべきではないのかもしれませんが、エージェントの笑顔は嘘くさいと思ってしまうのです。相手にとって都合が良い選択を迫られている気がして苦手です。

仮に、エージェントと良い関係性が築けなかったら、次に待っているのはエージェントが提供した情報が本当かどうかを確認する手間。

その場合、私はマルチタスクが苦手なので、余計なことにばかり意識が向いて心身ともに消耗すること間違いなしです。

SOLOを始める前は「SOLO留学」という留学斡旋の会社をやっていました。進学や留学に関する手続きやCVの添削などもやった経験があるので、それらの経験を何かの形で還元できればと思った次第です。

せっかく関わりを持ったのだから、自分ができる範囲ではサポートしよう。そう思っています。

小学校の時、私の地元では「遊戯王」がすごく流行りました。

お金が貯まるとゲーム屋さんに行ってカードを買い、そのままゲーム屋さんの奥で友達とデュエル(カードで戦うこと)をしていました。

そのゲーム屋さんには高校生のお兄さんたちも良く来ていて、そのお兄さんたちには色んなことを教えてもらったことを覚えています。

「カードのパッケージごとに微妙に違いがあって、レアカードはこのパターンに入っている」と言った情報や、「 “金の葉っぱ”と “銀の葉っぱ” を持って祠にいくと、セレビィが出てくる」といったガセ情報など、どんなことでも聞いたら答えてくれるお兄さんたちでした。

小学生の何も知らない自分にとっては、とても頼りになる存在だったと感じます。

実家に戻ると、母がスマートフォンに関する質問を矢継ぎ早に聞いてきます。他にも家電の電池を入れ替えたり、戸棚の歪みを直したりだの、私のことを何でも屋と思っている節があります。

面倒臭いなと思いつつも、自分は母にとっては気軽になんでも聞ける存在なのだとふと思うことがあり、何だか悪くない気分もするのです。

もし仮にスマートフォン専門店で質問をしていたら、お金を支払うか、邪険に扱われることもあるでしょう。そうでなかったとしても、母の心情的には何かしらの抵抗が生じる。

そういった心の抵抗がない状態でフラットに質問できる存在。地元にいるお兄さん的な存在。

それが自分の心にとっても健康だし、人の役にもたてるのかなぁとなんとなく思っています。

久しぶりに相方に会った帰りの新幹線で、ふとそんな風に思いました。

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