謙虚と貪欲の両立(週末日記#24)
前書き
ふと自分の思考や行動を振り返ってみて、謙虚でありたい自分と貪欲な自分の二つ矛盾した面に直面したので思考を整理するためにこの日記を書く。
書き終わってからこれを書いているが、結論が意外とすぐに出てしまい、いつもに比べて相当短い文章になっているで先に言っておきたい。
ここでいう「謙虚」とは足ることを知り有頂天にならないこと、「貪欲」とは志を高く持ち常に高みを目指すことを指す。
謙虚と貪欲とは
この謙虚と貪欲の両立は可能か?
高みを目指すには今に満足してはいけない。しかし、成果を上げるには謙虚に自分の能力を見極める、すなわち今の能力で満足し、その最大値を出すことに集中しなければならない。高みを目指しているからといって自分ができること以上の成果を望むと空回りすることになり、本来のポテンシャルも出せなくなる。
しかし、僕を含めた多くの人はどちらか一方に偏りがちだ。今の自分に満足して成長できない人、将来の理想だけを見て今に集中できない人、のどちらかだ。
自分は時折後者であると感じる。高い志を持ちながらも今のできなさに満足する(謙虚である)ことに矛盾するため、自分の能力または成果を過大評価しがちだ。
しかし、謙虚でありながらも高みを目指し、成長に貪欲な人の存在を知っているため、これが不可能でないことは知っている。
この記事では、この頭の中で散らばっているピースを集めて答えを導き出してみることにする。
短期に謙虚、長期に貪欲であれ
短期に謙虚
答えはこれかなと感じている。
短期というのは我々が生きている「今」のことを指している。すなわち、自分が直面するどんな出来事、人に対しても一生謙虚である必要があると言うことだ。
謙虚であることはあらゆる利点があると感じている。
まず一つは、無駄な敵を作らなくて済むこと。生きて行く上でライバルが多いほどのディアドバンテージはない。自己主張が強かったり、プライドを人に押し付けるような行為はそういった敵を作り出してしまう可能性がある。
二つ目は大きな失敗を起こしづらくなること。謙虚さを失って自分の能力を過大評価してものごとに挑むと、取り返しのつかない失敗を起こして今う可能性がある。もちろん、謙虚であったところで可能性がなくなるわけではないが、ある程度の是正は可能だと感じている。
長期に貪欲
長期に貪欲であれ。これは将来の自分の姿や、夢などは大きく持つ、別の言葉で言うならば、大志を抱くと言うことだ。志や夢までも謙虚であるのは逆効果だ。自分の将来の可能性を潰してしまうことになる。
このように、「謙虚で発展途上の自分」と「将来の理想の自分」とを分けて認識することによって謙虚でありがながらも貪欲であることの両立が可能になる。
締め〜常に謙虚であるには〜
自分みたいな素が未熟な人が、常に謙虚でいることは非常に難しい。いろんな出来事、人に遭遇するが全てを謙虚に対処することはできない。どんな会話であってもReact(反応)するのではなくResponse(返答)することが大事であると、リーダーシップコーチングをしている海外のとある育成プログラムの概要に書いてあった。対話において大切なのは感情で答えるReactではなく、理性に基づいて答えるResponseである、というのが概ね言わんとしいることだろう。謙虚である上で人との対話というのは非常に重要な要素だ。
これについては、自分の中で思うことがたくさんあり、この記事で書くと長くなり期限を守れそうにないので、次の記事で書くことにする。
では、また次の記事で。