完璧主義者が覚えておくべき事(週末日記#15)

今週の記事では、完璧主義者である僕が過去に経験した失敗から学んだことを、大事なことなので忘れないように記しておくため記事だ。あくまでも自分のために書くものであって、医学的根拠も何もないので参考程度にしてほしい。が、一人でも多くの人の助けになれば幸いだ。

完璧主義者とは

一般的な定義

完璧主義者とは、ウィキペディアの引用によると、

心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。

出典:wikipedia

らしい。

少し気になるのが、「過度に高い目標基準を設定し」というところだが、完璧主義者で淡々と目標をこなしていく人もいるので、”過度に高い”という表現は正確ではない気がする、が概ねこのような人のことを完璧主義者と指す。

僕の場合の完璧主義

自身の完璧主義的な考え方や行動の具体例を出して、もう少し解像度を上げてみようと思う。

僕の場合、過去には「過度に高い目標」を設定してはこなせなかった経験が多くあった。例えば、YouTubeをしていたときには「留学系YouTuberで登録者数日本一位になる」だったり、今もトライアスロンをしているが「アイアンマンレース」という比較的難易度が高めの目標を設定している(これが過度だったのかどうかは一年半後に明らかになるだろう)。前者は結局達成できずに終わり、かつ頑張りすぎて精神的に疲弊してしまった。これは明らかに完璧主義的な僕の性格からくる失敗だったと言えるだろう。

過去の自分を振り返ってみると、Wikipediaの定義がほぼ当てはまっているように見える。

パニック発作

留学当初の多忙な日々

僕は高校を卒業してからイギリスに留学した。比較的に心地が良く狭いコミュニティーで生きてきた僕からしたら言語も文化も違う国に飛び込むことは容易なことではなかった。

しかし、ここで述べている通りの完璧主義であった僕は、その当時、YouTubeを始めて、高い目標を掲げ日々努力をしていた。英語+大学の勉強に加えて撮影から編集まで全て自分でこなしていた。当初は楽しさもあったため完璧にこなすために時間を切り詰めながらも楽しんで日々を送っていた。

発作の発症

そんな忙しい毎日を送っていたある朝、市販の粉末コーヒーを入れすぎた(所要量の3倍ほど)ためにパニック発作(医学的な診断は受けていない)を起こしてしまった。

パニック発作というのは、急に、息が苦しくなったり、不安になったり、心拍数が上がったりして言葉の通り”パニック”に陥ってしまう精神的な病である。カフェインの過剰摂取は精神的な疲れやストレスが溜まっている人(耐性が弱い人)が発作を起こしてしまう原因になることがあるらしい。僕の場合、完全に自己判断であり、症状をネットで探してみたらこの発作が当てはまっただけなので、完全にそうだとは言えないが、”異常”であったことは明らかである。

授業中にいきなり心拍数が上がり、息が苦しくなり、急な不安感に襲われた。そのまま授業を途中で抜けて、部屋に戻り、呼吸をしたりベットに寝っ転がってみたりと、とにかくお落ち着きがなかった。仕舞いには病院に駆け込むも、「事前予約がないと診察を受けられません、緊急であるなら救急車を呼んでください」と言われ、さらに焦った記憶がある。

完璧主義者が覚えておくべき事

発作の原因を考察してみる

このような症状が起こってしまったのは完璧主義であるがために、すべてのことに気を使いすぎてストレスが溜まっていたことにあると感じている。それらのストレスがどのような感情から来たものなのか因数分解して知る必要がある。

まず言っておきたいのは、完璧主義であることは一つも悪いことではない。それはあなたの性格であってそう簡単に変えられるものでもないし変えるべきものでもない。しかし、あなたは高い目標に向けて頑張りすぎてしまい心の余裕がなくなってしまう可能性があるということを常に心がけていなければならないと思う。

第一の原因は「常に完璧でいなければならない」と思う傾向にあることだ。まず、あなたが考えているような完璧な人はこの世にいない。何事も完璧でこなせるように思えるあの非暴力主義で有名なガンジーも、不倫の常習犯だったらしい。これは単なる一つの例だが、「人間という生き物は生涯全てのことを完璧にこなすこのなんて不可能である」ということを念頭に置き生きていかなければならない。そうしなければ、自分の失敗や、完璧でない部分に直面した時に自己嫌悪などの精神的なストレスが溜まってしまうだろう。

しかし、完璧主義者は上昇意欲が非常に高く、自分を成長させることに貪欲であるがために、そのようなことを言われても、実際に性格と行動を変えるのは非常に難しいだろう。というよりも変えない方が効率的にも、精神健康的にもベターだろう。

有用な考え方

そのような矛盾を乗り越えるために実用的な考え方が一つある。 
「自分は今も後も完璧ではないが、完璧という終わりのない旅を歩み続けている。それが楽しいのだ。」と思うことだ。

幕末期に活躍した著名な人たち(西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作)の多くが愛読書としていた佐藤一斎の”言志四録”でも言われているように、賢者は遥か遠く感じる終着点への険しい道をも楽しみ、それを継続することによって最終的に大事を成す。すなわち、完璧主義的な性格を持ち合わせているあなたはその道を”楽しむ努力”をしなければならない。辛いだけの道を歩くのには必ず限界があるものだ。

しかし、自分は今も後も完璧ではない、と思うことは非常に難しい。そのためには自分の過ち、できないこと、失敗に目を向けて、自分は未熟であることを認めなければならない。これが非常に難しい。謙虚であることの大切さについては、以前記事に残したことがあるが、そう書いた本人も、重要であるということは分かっているが感情を支配することに苦闘している。

最近思うのだが、完璧主義者は非常に難しい人生を歩まなければならないみたいだ。自分の性格そのものをすべて変えることができればそれ以上に容易なことはないのだが、それは不可能に近いと感じている。表面を変えたところで、底に残っている本能がそうさせてくれないのである。

しかし、自分の成長に貪欲で大義を成し遂げたいと思うことは非常に誇るべき素質であり、実際、過去に世界を変えてきた人たちは少なからずそのような素質を持ち合わせていただろう。あなたはその素質を自分のためにはもちろん、社会全体のために使うべきだと思う。そうすることがあなた自身の最大の成長にも繋がると思うからだ。

「倫理的であることと論理的であることは必ずしも別物ではない」ということに繋がる話だが、この記事では論点がずれてしまうので深くは書かないことにする。だが、社会のために働くということは自分のためにもなるということを忘れないでほしい。

締め

まとめると、完璧主義者は完璧にすべてのことをこなすことは不可能であり、自分は未熟であることを常に知っておかなければならない。完璧ではないことを自認しながら完璧を目指す、そしてその道のりを楽しむ。ということが必要だ。

楽しむには、自分の感情を観察し、ある感情が込み上げてきて自制できなくなっている時に、それはどのような感情なのか?何故そのような感情が生まれたのか?など常に自問自答する習慣をつけておくといいだろう。瞑想などがその手段のひとつである。

人からよく言われるであろう「頑張りすぎないで」というのは余計なお世話だと思うこともあるだろうが、そういう言葉をもらった時にはこう解釈しよう「頑張るのはいいことだけど、あなたは完璧じゃないし完璧になれたと思う時なんて一生来ない。だからもっとリラックスして自分を観察しながらその道を楽しむことに気を使いなさい」と。

では。また次の記事で。

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