TOEICとはもう10年以上の付き合い

2022.02.28

・2月の最終日曜日、一年半ぶりにTOEICの試験を受けた。

 わたしとTOEICとはもう10年以上の付き合いである。高校1年生の頃、高校の団体申し込みで受験したのが初めてだった。進学した高校は国際科で、2年生の9月から留学することが決まっていた。そして、留学先でも日々の実力確認のために定期的にTOEICを受験することが課題のひとつだった。回数は問われなかったけれど、なんとなくわたしは毎月申し込んで、田舎のLewesの街からバスで15分、Brightonについてからもさらに15分、歩いて試験会場に向かった。そして現地の学生たちに混じって、小さく薄暗い教室で受けた。向こうでTOEICの試験はさほど主流じゃないらしく、日本のような大教室に大人数ではなく、おそらく2、30人程度だったと思う。帰国してからも、大学受験のために受け続けた。800点を超えたスコアと用意した長い長い小論文を持って、大学のAO入試を受けた、希望の専攻に合格できた。

 20歳を過ぎてからその頻度は落ちても、やっぱり試験は定期的に受け続けていた。スコアは800点をまた超えることはなかった。でも英語の授業分の単位を稼ぐことはできた。語学の授業が面倒だったので、大学に申請して、単位にした途端2年生の時間割から語学を消して、学ぶことをやめた。そして社会人、試験は全く受けなくなった。仕事を覚えることに必死で、それでいて人間関係もなかなか落ち着かなくて、本当に余裕がなかった、恋もしていたけれど、結局振られてしまった、「もっと賢いひとだと思ってた」、そんなふうに電話口で言われて終わった、それから半年ほどで、仕事もプライベートもどん底に達したのだろう、突然思い立って、不動産屋に駆け込み、ひとり暮らしを始めた。

 いつTOEICを再開したのか、今では思い出せない、たぶん会社で希望していない部署に配属になって、自分のキャリアに危機感を覚えたのだろう、久しぶりに受けたTOEICは高校生の頃と比べて、レベルが上がっているように思えた、昔はシンプルな質問だったから、クイズ番組の早押し回答のようにポンポンぽんぽん答えを決めていけたのに、最近の試験の内容は、聞く、あるいは読む中で、読解力のネジも同時にまわさないと解けないようになっている、気がする、これはあくまで個人の感想。内容も時代のコミュニケーションに沿ったものになっていて、SNS調の会話文を初めて見た時は試験中に「おぉ!」と声を上げそうになっていた。

 英語を勉強する時ほど、自分の脳みそが錆びていると感じたことはない、そのくらいわたしの脳みそは思考停止状態になって、日常の些細な出来事を気にしない代わりに、新しいことをなかなか受け入れられない仕様になっている。きっと大人になるということは、この錆びついた脳に、どれだけ定期的に決められた量の油をさして、メンテナンスし続けることなのだろう、だってほったらかしたら錆びてしまうのだから、外に置きっぱなしにされた自転車のチェーンみたいに。

 今回の試験も、受けるとわかっていたのに、なかなか勉強に実が入らなかった、仕事もそんなに忙しい時期じゃなかったのに、真面目に勉強する気になれなかった、じっくり考えることを忘れかかっていたせいだった、起きて、食べて、服きて、飲んで、自転車走らせて、会社の椅子に座って、パソコン開けて、メールみて、電話して、昼食べて、資料作って、送付物数えて、打刻して、自転車走らせて、ご飯作って、たまに洗濯して、それだけであっという間に眠たくなってしまう、運動もそんなにしないから、体力も落ちた、独身の怠慢の渦中なのだ。しかもわたしは、仕事で英語はほとんど使わない。

 じゃあなんで勉強するのだろう、試験前の机の上、肘をついて宙をみながら考える。

 TOEICは問題数が200問もあって、しかも問題は回収されて答え合わせもできないので、受けたら受けっぱなしでピンポイントで復習もできない、なかなか残酷な試験だと思う、でもそれが、ここまで回数受けていると、かえってバロメーターになっている、内容が毎回違っても、自分のレベルによって解ける問題数や理解度も変わっていることは、自分にはよくわかる、「あ、きょう全然聞き取れなかった」とか、「あ、きょうは文法すいすいわかったな」とか、大勢の教室の中でも、小さな教室の中でも、わたしはわたしと闘いながら、とにかく問題数をたくさん受けてきた。要するに、試験を受けるということは過去と未来の自分の戦いなのだ。

 過去の自分が勉強すればするほど、未来の自分は豊かになっていく、反対も然り、そうだ、勉強することは、人間が自分自身を豊かにするために始めたことなのだ、勉強しなくたって、息することと食べることと眠ることを覚えていれば、わたしも生きることはできる、だけどそれではつまんないから、つまんないと思う自分がここにいるから、わたしは本を手に取ろうとする、せっかくなら楽しく読みたいから、言葉を知る、意味を知る、文脈を知る、背景を知る、そして実際に使われているところを知る、

 そうして、あなたからみて何の変化もないかもしれないわたしは、わたしの中で無意識に、でも確実に自分を進化させている。

 去年2021年はコロナ禍と、偶然自分の心震える出来事が多数重なったこともあって、遠のいていた、2月に受けようと思ったのは朝ドラの影響から「やっぱりちゃんと英語力を磨いておきたい」と思い直し、年末からラジオの英会話を毎朝聴き始めたこともあり、つまりは自己啓発の一環だった。前回の試験で覚えたつもりの単語は、見事に全部忘れていた、現状維持も大人になると大変だ、この試験は10代のころ、20代のころ、そして30代の手前でまたさらに、わたしの新しいバロメーターになりかけているみたいだ。

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