パセリの樹

2021.7.31

住んでいる隣のマンションに大きな「パセリの樹」がある、「パセリの樹」というのはわたしが勝手に心の中でつけたあだ名で、風が吹くたびにふさふさと木の葉をゆっくり揺らす姿がとても可愛らしい、あまりにも可愛くていつかの夕方動画に撮ってSNSに投稿したくらい、ささやかながら誰かのハートも送られてきていた。

ある日、それまで久しく見上げていなかったパセリの樹の先端が、ひどく枯れていることに気づいた、ふさふさしていた木の葉たちはすっかり痩せてしまい、心なしか樹全体が沈んでいるようにみえた、季節的なものかと考えたが、時はすでにあたたかい春だった、ああきっと何か病気にかかってしまったんだな、とパセリの樹をほんの少しだけ心配した、けどその日から実家に帰るので、ひとまずわたしはその場を後にした。

それから数日後、実家から帰ってくると、パセリの樹はばっさりと切られ、切り株になっていた。思わず「あっ」と声がこぼれた、空高くそびえていたあの樹は、わたしの膝よりも低くなっていた。

切られた現場をみたわけでも、毎日毎日愛着持って見上げていたわけでもなかったのに、わたしは1ヶ月以上経ったいまでもパセリの樹のことをふと思い出す、きっとあんなに大きな樹だ、切り倒されるときはおそらく数人の男手が必要だっただろう、電柱まみれの町の中で倒れるリスクを考慮して、もしかしたら段階的に切ったのかもしれない、わたしがここに住む何年も何年も前からいただろうに、彼の最後に立ち会ってくれたひとはいたのだろうか、そもそも彼が病気にかかっていたことに何人のひとが気づいていたのだろうか、そもそも切り株にしなければならないほど彼の病気は進んでいたのだろうか、本当はもう少し生きていられる別の道があったのではないか、そうだとしたら、


あっ、もうでも全部終わったことだった。


切り株になったパセリの樹は、周りの生垣たちのなかに囲まれてなかなか見えづらいポジションになってしまった、そういえばこの間実家で気に入っていた樹からも若緑の新しい芽がたくさん出始めていた、いつかわたしがこの町から離れるとき、彼から新しい命は芽生えるだろうか、それとも変わらず切り株として鎮座するのだろうか、またひとつ、パセリの樹を観察するたのしみが増えた。






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