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「青い鳥」はしぶとく生き残っている

2024.10.14

・わたしのスマホにはまだ「青い鳥」がいる。ここで言う「青い鳥」とは、そう、以前の「Twitter」、現在の「X」である。アプリやその運営に対して確固たる反抗があるわけでは全くないのだが、そもそもアプリの自動アップデートは設定でオフにしているので、これに限らずバージョンの古いまま使っているアプリはいくつもある、アプリが使えなくなったりバージョンアップを求められた時に対応すればいいので、不便はない、そして意外にも「青い鳥」はしぶとく生き残っている。

・自分を更新することを「アップデート」と言うようになったのはスマホの影響がでかい、と思う。「アップデート」の意味を調べると「システムを最新のものにする」らしい。不思議な言葉だ。だってアプリのように「自分、アップデートします」と言ったからって大きく自分の顔が最新の流行に変化するわけでもないし、服装や見た目に過去と違いは出せても、外側は内面から滲み出るものでできていると思うから、その人らしさは簡単になくならない、なのにどうして成長したり変わろうとしたりすることを「アップデート」などと言うのだろう、日本語の多様性と順応性は時におそろしい。

・正直、わたしは全然自分をアップデートできてない、と思う。久しぶりにあった実家のご近所さんにも「変わらない!」と言われるし、ドラマが好きで(たまに)シナリオの真似事をしているけれど、だからと言って今放送しているドラマをほとんどおっかけているわけではない、むしろ熱心に録画しているのは、最近映画のプロモーションで再放送が決まった「踊る大捜査線」。あと3年もすれば30年も前のドラマで、職場も車も使う道具もいまでは見かけない光景ばかりになっているにも関わらず、家に帰るとつい見てしまう。

・ドラマに限らず、映画や音楽、漫画に本、食べ物だって、すきなものは何度も繰り返し触れていたい、というこの癖は、家族からもよく不思議がられていた。同じドラマをテレビに映すたびに「なんでおんなじもんばっかり」と本当に呆れられてた。でもすきなものだったから、飽きなかった、むしろ見るたびに味や視点が変わるものは、生活がひとり暮らしになると作業用BGMのように繰り返し流していた、これが語学に向かえば、今頃はもっと堪能になっていたに違いないのに。

・触れるたびに新しく感じるもの、忘れかけていたものを思い出させてくれるもの、そういうものが作りたい、でもなかなかうまくいかない、それは自分の中が「アップデート」されていないから、という言い訳を思いつき、同じものを繰り返し繰り返し吸収しているだけで、視野が全然広がらいない、だからうまくいかない、もうだめだ、疲れた、体力ない、眠い、横になろう、そうやって1日が終わる、30代になってこのペースのテンポが速くなってきている、望んでいないのに。

・でも体に関しては20代から顕著に変化を遂げていて、特に今年に入ってから特定の時期に毎月風邪をひき、うち4回くらいは仕事を休まなければならないほど寝込んでいた。いつも気をつけているのに、ふっと緩んだ瞬間にやってくるこのウィルスはまず喉でその頭角を表す。ここで防げるか否かが勝負で、この10月に関してはなんとか防げた、と思ったら症状がいつもより喉の痛みが長く続いたので、やはり病院に行くことに。

・近所の病院はどうしてもコロナ検査の関門を通らなくてはならなくて、しかも負担額が高いこともあって渋っていたが、そういえばバスで10分くらいのところに、子どものころに通っていた耳鼻科があったことを思い出した。そこは個人経営の医院で、白い壁で囲まれた部屋にたくさんの人が待合室にいた。母の知り合いの医院らしく、風邪の症状があるとすぐその先生にみてもらい、最後に壁に取り付けられた巨大な装置から出る蒸気を喉にあてる、というのがお決まりの流れだった。

・その医院はまだ同じ場所にあった。でも子どものときの建物はもうすっかりなくなって、現代風のクリーム色を基調とした綺麗な入口と待合室になっていた、予約制になったらしく、待合のソファにはまばらにしか人はいなかった、予約番号が読み上げられ、診察室へ、先生は次の代に変わっていたけれど、その対応はかわらずとても優しかった。(おまけにコロナも安価でみてくれた)診察の最後に、「蒸気あてて帰ってください」と言われて、そこでわたしは「昔と変わっていない!」と一瞬高揚した。

・でも変わっていた、あの壁についていた(と思っていた)装置はとてもコンパクトになっていて、目の前の機械は市販の薬箱と変わらない大きさだった。蒸気を出すチューブも、昔は大量の蒸気が処理しきれず、口からつばがよく落ちるから銀のトレイを持たされていたのだけれど、開けた口がチューブの大きさとちょうど同じくらいで、つばが口からこぼれ落ちることもなく、喉の奥に適度に蒸気があたった。

・蒸気が当てられている3分間、わたしは急に寂しくなった、だってこの医院にきていたころは機械も古くて、建物に人もぎゅうぎゅうにいて、テレビとか絵本とかいっしょくたの待合室だったのに、人も空間もゆったりしてて、機械はコンパクトになって、これじゃまるで遥か未来の世界みたいで、わたしがみていた世界がまったくなくなってしまって、心と記憶は子どものまま、見た目だけが急に大人になったような気分になったのだ。

・5日分の薬と新しい診察券をもらい直して医院を後にした。この場所も、いまの社会で生き残るために見た目や中身を「アップデート」させたのだろう。でもここにきたわたしはアップデートどころか、自分の中の時が進んでいないことに気づかされただけだった。でもそれも、ちょっと楽しんでいる自分がいるのも確かなのだ。わたしの目線は変わらず、「青い鳥」を携帯に残したまま、変わっていく建物や世の中を「未来人だ」と思うこの頑固さも、案外貴重なのかもと勝手に思ったりしている。

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