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人生がすんなり行く。

2022.08.31

もしもし、きょうは8月の最後の日です、最後に日になって、ようやく書こうと思えるようになりました、ご無沙汰しております、お元気ですか、お元気だったら幸いです、お元気じゃなくても、生きているなら幸いです。

世間とはずれた夏休みをとって、時間も携帯も場所も気にせずのんびりと過ごしています、とはいえ仕事はちょっと追いかけてくるので、それは自分の責任、少し相手するくらいがちょうどいいと思って確認と作業をひとつまみ、あとは家にいてクーラーで体を冷やし、心までキンキンに冷えたところでようやく外に出ようと決心し、つばの広い帽子を深く被って外に出ます、近所の喫茶店で昼をとり、コーヒーを飲み、クリームソーダを飲み、常連客の近況から好きな映画やドラマについて笑いながら話し、水もがぶがぶ飲み尽くしたところで家に帰ります、そういうことの繰り返し。

同世代の女性たちが子育てや恋愛や自己研鑽に忙しくされている中で、わたしはぼんやりとしている、29歳になった時、「お姉ちゃんどうするの?」と邦画の予告編で聴こえるフレーズを妹が投げてきた、どうするも何も、生きてるよちゃんと、会社にもちゃんと行って仕事もしてる、通勤時間が長くなって大変だけど、毎日ラジオ聞いたり本読んだりしてちょっとずつでも前に進んでるよ、って言いたい言葉はまだ胸の中、自信を持つにはまだ時間がかかる。

先日、久しぶりに「はっ」とする瞬間があった、それは「おもひでぽろぽろ」で二七歳の主人公タエ子が分数の割り算について話しているシーン、「分数の割り算がすんなりできる人は、その後の人生もすんなり行くらしいのよ」と持論を述べ、その根拠に同級生のりえちゃんの話を持ち出していた、彼女は算数が得意でもないのに、素直に分子と分母をひっくり返してテストで100点を取り、その後もすくすく育って、「いまはお母さん、ふたりの子持ちよ~」と相手に説明する。
何度も何度も見ている映画なのに、ここで「はっ」とした、タエ子にとって「人生がすんなり行く」は、結婚して子どもを持つことだったんだと。タエ子はこの時代には珍しく独身、仕事もあって、お見合いも断って自由な時間を楽しんでいる、ように見えていた、でもそれは彼女にとって「人生がすんなり行く」ではなくて、本当はすんなり結婚して、すんなり子どもを持てる、そのことを無意識に彼女は望んでいるんだ、って、それが真実か否かはさておき、わたしがそう解釈する瞬間を味わってしまったのだ、たぶんわたしも結婚していないし、子どももいないいまだから。

「頭悪いくせに、こだわるタチなのよね」と最後にタエ子は締め括る、いまの自分は激しく共感してしまう、わかるわかる、言葉も説明もまともにできないくせに、書くことにこだわってばかりのわたしもおんなじ気持ち、でもしょうがない、わたしだって今の自分が「人生すんなり行く」状況ではないことくらい自覚している、でもタエ子と違うとすればわたしの場合、それは結婚や子どもじゃなくて、もっと自分自身に関わるものでありたい、例えば「ちゃんと文章を書く」とか「ちゃんと手に技術を身につける」とか、結婚や子どもは、大事だけど、できないかもしれないけど、もしできるとしたら、それはひとつの通過点でありたい、こんなのわがままかもしれないけど。

銭湯に行こう。

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