選抜発表で推しの位置を知った時

深夜の1時半。頭が痛かった。
絡まった無数の中から求めていた1つを取り出すのは本当に骨が折れる。
言葉はなおさらだ。

事実があってそこから解釈が生まれる。
考えれば考えるほど、行き届くはずのないところまで潤そうとしてしまう悪い癖がある。

喜び、安堵、不安、悔しさ、どれが正解なのは当の本人しかわからない。いや、本人すらわからないことだってあるのかもしれない。

憶測は広がる。
一体いつまで疲れやすい脳に毎日付き合わなければいけないのだろうと思うと、本当に煩わしい。

ぼくは答えを出した。

感謝を伝えた。
いま1番正しいと思ったことだった。
信じた。
これしかなかった。

いつも元気をくれてありがとう。


直後のラジオを聴き終えて

光はまっすぐに見えて、波状的なものだと知ったのだった。

「一緒に頑張ろう。」

『佐藤満春のあなたの話聴かせてください』で最後に放ったことばだった。

また背中を押されてしまった気分だった。
だからこの人を応援している。
光が暖かすぎて目頭が熱い。

性格や雰囲気が変わりやすいと感じる人は、きっと繊細なんだと思う。

こうじゃないと頭の中で作った傑作品と、鏡でうつされた姿を見比べては修正し、葛藤し、動きが止まる。

繊細なひとは言語以外の情報もキャッチしてしまうと本で読んだことがある。

センサーが敏感なあまり、情報を受け取りすぎて人より多く働き、当然疲れてしまう。

「背が大きい人」と同じぐらいに、心が繊細な人はいるという。

繊細なことで自分の嫌なところまで余計に探知し、思い込みが至ってしまう。

でも、どんな人でも必ず、自らの馴染みやすい形に変化する。生物はそうやって生き延びてきたのだから、「変化すること」は生きるものすべてが持つ、尊ぶべき才能なのだと思う。

27枚目シングルで初めて選抜入りした、早川聖来さん(乃木坂46)は、細かなパーソナリティが少し変化したように感じた。

いままで以上に「ありがとう」を配るようになった気がした。分け隔てないその振る舞いに「配る」という表現をする。

光の矛先がいろいろな方向を向くからこそ成しうる。思っている以上に彼女は繊細なのだろう。

いや、きっと誰にでも繊細な部分はある。


がんばるってる人へ

多くあっても一つだけ違って見える。満点の中の一点を「おす」ということ。

どんな理由であれ他人を褒め、尊ぶことは素敵なことだと思う。


散歩をよくする。

逃げるためだ。
目の前の情報から、何よりおかれた現状に対する逃避行動だった。

唐突に1人で大阪に旅に行ったのもそう。
人間関係を壊したくないがために、周りに執拗に気を遣っていたことに疲れたからだ。
非日常で一度頭を満たしたかった。

大学、勉強、就活。
正直逃げたい。
情けないが。

でも、逃げきれないのだ。
なんで逃げきれないかというと、がんばっている人がいるから

強いられていたり、仕方なくといった意識は感じない。共鳴しているというか、高められている。

ぼくはこれを「元気をもらっている」と言っている。

何かを探し飢えている自分が生まれたことに気づいた。

新しいことを始めてみよう」とか
この人がやってて面白そうだからやってみよう」とか、

ことにネット上、推した先にいる人たち自身からこういう強い意思を感じる。

意思が強いから伝染するのだろう。意思の出し手も受け手も。

いいことをされたら、何かいいものを返したくなる。
受けた事実に見合った返し方を見つけるのは、ばかな自分にはちょっとレベルが高い。

だからこそ誰でもできる「ありがとう」を伝えるのだ。

他人に配れる人間は理想的だと思う。なぜ理想かと思うかというと、実は簡単そうで難しい。人って自分の身を守るために自分のことを考えてしまうのがたいていだ。

それを捨ててまで他人に配れる人は素敵だと思う。
だからこそ真の意味で「アイドル=偶像」なのだろう。

「あなきか」のエンディングにて、パーソナリティの言葉に胸を打たれた。

「またがんばりましょう」

ほんの一言だった。でもこれが素晴らしい一言だった。

見えない手をとり合ってまた今日「一緒にがんばろう」と。

終わったら「おつかれさま」や「ありがとう」と。
思うだけでいい。言葉に出せたら最高。

またひどく頭を使う1日だった。
繊細なアンテナを持っているはずでも、当たり前に過ごしていたことに気づいた1日だった。
いい1日だった。

元気をくれるみなさん、本当にありがとう。


早川聖来さん初選抜おめでとう!

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