梅田の北向地蔵尊はなぜ北を向いているのか?
梅田に、星に関係あるのでは?と思われる仏さんがいます。
大阪・キタで一番有名なお地蔵さんと言えば、阪急梅田駅の紀伊国屋書店の西側に鎮座する、北向地蔵尊ではないでしょうか?
縁起によると、明治24年(1891)、梅田の泥田で見つかったお地蔵さんを、お祀りするようになったのが最初です。
ちなみに阪急梅田駅(現 大阪梅田駅)の開業は明治43年(1910)なので、当時、国鉄(現 JR)大阪駅はありましたが、阪急梅田駅はまだなかった頃ですね。
何度か移転していて、記録によると
① 1893年に祭祀がはじまった当初は、現在のヨドバシ梅田の場所にあったようです。
② 年代不詳だが、なんらかの事情で、現在の新阪急ホテルの場所に移転しています。
③ 1964年の新阪急ホテル開業に伴い、少し東側(現在地の近く)に移転。
④ 1966年から阪急梅田駅の移設拡張工事がはじまり、1969年に阪急三番街が開業。同年10月12日、現在地に鎮座されました。
このとき、阪急三番街のテナントが中心となり「阪急三番街北向地蔵尊奉賛会」が発足され、現在に至っています。
願いごとや悩みを聞いてくれると評判で、お参りに来られる人が絶えず、よう稼ぎはるお地蔵さんです。 地域の有志で奉賛会が結成され、日頃からお世話されています。近くの太融寺のお坊さんがお経をあげに来てくれはります。
「北向地蔵尊」と名付けられている通り、あえて、北向きに安置されています。 これは珍しいと言われているけれども、北を向いた、あるいは西を向いたお地蔵さんというのは、じつは、あちこちにいらっしゃいます。特段珍しいものではありません。
そもそも仏像というものは拝む対象です。お釈迦さんのフィギュアでもあることから、偉大な方です。中国では南面の王者という考えかたがあり、偉い人は南を向いて陣取ります。あるいは東を向いています。仏像もそう。東大寺の大仏だって、南を向いて鎮座しています。
ところがお地蔵さんは、「自分は人々に分け入り、人々と肩を並べ、人々に寄り添い、願いや悩みを聞き受けて、人々を救いたい」と考え、あえて北向きに鎮座しています。お地蔵さんは、正式には「地蔵菩薩」と言って、菩薩の一種です。 菩薩といえば、王子時代の修行中のお釈迦さんがモデルで、アクセサリーで着飾った姿をしています。
デコルテあたりは貴金属がジャラジャラしています。
しかし、お地蔵さんは違う。装飾品はなく、頭も丸めています。
高みから私たちに手を差し伸べて救済するのではなく、私たちのなかに分け入って、寄り添ってくれる存在、それがお地蔵さんです。
だから、大抵のお地蔵さんは、北を向いています。あるいは西を向いています。もちろん、北に壁があるような場所だと壁と向き合うわけにはいかないので北以外の方向を向いているでしょうが、そのような特別な理由がないかぎりは、お地蔵さんは北を向いています。
では、なぜ、梅田の阪急三番街のお地蔵さんは、わざわざ「北向地蔵」と呼ぶのか。
このお地蔵さんが、長く泥田のなかにいたということと関係しています。
真っ暗な地下世界は、あの世、黄泉の国でもあります。
そんな世界で頼りになるものは、常に北に位置するスターナビゲーターの北極星です。
北極星を頼りに、暗闇を進み、私たちを導いていくれる存在。北極星のありかを確かめるために、常に北を向いている存在。
それが、梅田の北向地蔵さんです。
海を行き来する海民が海を渡るときに北極星を頼りにするように、北向地蔵さんも、真っ暗な地中を、北極星を頼りに漂流してきたわけです。
近しい存在といえば、えべっさんがそうですね。
えべっさんもまた漂流神です。そして、漂流神は不具の身体を持っているケースが多い。
えべっさんは耳が遠い。
不具の身体ゆえに、超人的な力を発揮する、ギフテッドのようなものかもしれません。
北向地蔵尊もじつは、えべっさん同様、耳が遠いのです。
なので、お堂の裏へまわって、背後から耳元まで行ける「裏参り」ができるようになっています。
北向地蔵さんとは、仏さんでありながらも、漂流神によく似ています。