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死後の世界の歩き方

死後の世界や地獄のことは「往生要集」に書かれている


僕たちは死ぬと、死後の世界に行き、閻魔大王らの裁判を受け、六道のどれかに行くことになっています。
六道それぞれに厳しい世界ですが、たとえばお地蔵さんは、六道抜苦と言って、それぞれの世界で、僕たちを救ってくれる存在です。
その意味では、お地蔵さんは、絶えず、僕たちのそばにいて見守ってくれる存在です。地獄でも賽の河原でも。
そんな世界を、覗いてみたいと思います。

まず、ヒトは死ぬとどうなるか。
平安時代の中期に、僧の源信が「往生要集」という本を書きました。
死んだ後の、地獄と極楽の概念が書かれており、いろんな種類の地獄が紹介されています。
たとえば、黒縄地獄という、殺生や窃盗の罪を犯した人が落ちる地獄があります。
ここへ落ちると、熱した縄状の鉄を身体に巻き付けて焼かれたり、刃物で切り刻まれたり、大釜で煮られるといった苦しみが待っています。
だから殺生や窃盗をしてはいけないよ、と、説いた本です。
その意味では、日本最初のハウツー本と言われています。

全3巻。地獄編、六道編、極楽編の3巻に分かれています。
「往生要集」は、現代語訳が講談社学術文庫から出ているので、わりと簡単に手に入れて読むことができます。

『往生要集』は全3巻。地獄編、六道編、極楽編に分かれている
十王による裁きの結果、さまざまな地獄に落とされる
沸騰した釜に突き落とされる地獄

ヒトは亡くなると、「死天山」を登る

死後の世界の歩き方

ヒトは亡くなると、すぐに死出の山、「死天山」と言いますが、この山を登ります。
ヒトは亡くなると、すぐに三途の川に行くように思われていますが、そうではありません。三途の川までにはいくつかのポイントがあります。
この死天山は、ノコギリの歯のようなギザギザに切り立った岩山なんです。
お葬式のときに、「死装束」というものを着せてもらいます。手の甲に手甲をつけ、足に脚半をつけ、草鞋を履かせてもらいます。
これは、ギザギザに切り立った「死天山」を登るための装備なんです。
そんなんでどうにかなるとは思えないのですが、一応、そういうことになっています。
もちろん、後で三途の川を渡るときに必要な「六文銭」も持たせてもらいます。

刃のように切り立った岩が続く「死天山」(熊野観心十界曼荼羅より)

おっと、その前に、亡くなるときに、生前のおこないが良ければ天国に直行できるのですが、悪行のかぎりを尽くした人だと、閻魔さんの裁きを受けるまでもなく、地獄行きです。強制連行です。火車という車に乗せられて、地獄へ強制連行です。

火車に乗せられ、焼かれながら地獄へ直行するヒトもいる(熊野観心十界曼荼羅より)

僕や皆さんのように、そこそこ社会のために尽くして、そこそこ身に覚えのある悪さをして来た人たちは、死出の山を越えて、三途の川に辿り着きます。

賽の河原

親よりも先に死んでしまった子は、賽の河原で延々と石を積む供養を積む。やがて、地蔵菩薩が現れて、子を救う(熊野観心十界曼荼羅より)

ところで、三途の川の手前には、賽の河原というだだっ広い空間があります。
親よりも先に死んでしまった子は、三途の川を渡ることなく、この、賽の河原で父母の供養のために小石を積み上げます。で、積み上がって塔ができると、鬼がやって来てその塔を崩します。なので、また石を積んで塔をつくる。また鬼がやって来て、塔を崩す。延々とこれが繰り返されます。
親よりも先に死ぬとはなにごとか、と。まだ供養が足らんのでもっと石を積め、と。鬼が石の塔を崩します。
そんなとき、この河原に地蔵菩薩が現れて、子を救います。もういいではないか、と、鬼から守ってくれ、あの世に送り届けてくれる存在がお地蔵さんです。

子どもたちはそうやってお地蔵さんによって救われていきますが、
僕たちはどうなるのかと言うと。。。

3通りの渡り方があるから「三途の川」

奪衣婆に服を剥ぎ取られ、衣領樹の枝のしなり具合で三途の川の渡りかたが決まる(熊野観心十界曼荼羅より)
奪衣婆(だつえば)。地獄に登場する主要キャスト

三途の川のほとりまで行くと、奪衣婆(だつえば)という、妖怪ババァがいます。
この奪衣婆が、僕たちが着ている着物を剥ぎ取ります。
で、剥ぎ取った着物を、近くにある衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝に掛けます。
このときの木の枝のしなり具合で、罪の重さが計られるわけです。

これを元にしてですね、三途の川の渡り方が決まります。
三途の川の「三途」というのは、3通りという意味です。
罪が一番軽い場合は、なんと橋の上を歩いて渡れます。
2番目は、浅瀬を歩いて渡ります。
3番目は、激流のところを大蛇や龍に追い立てられながら渡ります。

まだ、裁判もはじまってないのに、この時点ですでに差がつくんですね。

いよいよ十王による裁判

死後、順番に、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と来て、七七日つまり四十九日まで、十王による裁判が続く。以後、百か日、一周忌、三周忌まで。

そしていよいよ、裁判です。
死後、順番に、初七日、二七日、三七日、四七日、五七日、六七日と来て、七七日つまり四十九日を迎えます。7日ごとに裁判がおこなわれるわけです。
四七日の「五官王」のときに、「業の秤」というアイテムが登場し、生前の罪の重さを計ります。
閻魔王は、その次の五七日
「檀拏幢(だんだとう)」というアイテムがあり、ハスの台の上に、顔が2つ乗っかっています。怒っている男の顔と柔和な女の顔です。男の顔は「泰山府君(たいざんふくん)」、女の顔は「黒闇天女(こくあんてんにょ)」と言います。それぞれ、生前の良いおこないと悪いおこないを、閻魔王に告げ口する存在です。このアイテム、告げ口マシーンです。
それだけではなくて、「浄玻璃(じょうはり)の鏡」というアイテムもあります。閻魔王が裁くときに善悪の見極めに使用する鏡です。
これらを駆使して、閻魔王によって判決が下されます。
でもこれで終わらないというか、救済措置というか、再審があるんですよ。
六七日の「変成王」は高裁、四十九日の「泰山王」は最高裁と、現実と同じ、3審制になってます。
さらにですね、再審請求が3回あって、それぞれ百ケ日に「平等王」、一周忌に「都市王」、三回忌に「五道転輪王」と、裁判を受けることができます。この最後の3回の再審は、裁判のやり直しというよりも、救済制度みたいなもので、地獄から抜け出せるかもしれない、というものですね。

四七日の「五官王」の裁きのときに登場する、「業の秤」。生前の罪の重さを計る。
「檀拏幢(だんだとう)」。ハスの台の上に、顔が2つ乗っかっている。怒っている男「泰山府君(たいざんふくん)」と柔和な女の「黒闇天女(こくあんてんにょ)」。それぞれ、生前の良いおこないと悪いおこないを閻魔王に告げ口する。
「浄玻璃(じょうはり)の鏡」。閻魔王が裁くときに善悪の見極めに使用する鏡。

以上が、十王によるあの世での裁きです。
それぞれ、仏像の名前が振ってありますが、この十王は、該当する仏さんの化身と言われています。
閻魔王は、地蔵菩薩の化身です。
閻魔王は、亡くなった人を裁く存在だけれども、同時に、現世でも地獄でも人を救うお地蔵さんの化身でもあるという存在です。

六道輪廻

地獄道・餓鬼道・畜生道の3つが「三悪道」、修羅道・人間道・天道を「三善道」。 解脱に成功した者は六道輪廻から外れ、「如来」や「ブッダ」と呼ばれる偉大で尊い存在となる。

では、十王による裁きの結果とは、どんなものなのか。
ヒトは亡くなると、六道のうちのどれかの世界に転生するとされています。
これが六道輪廻で、仏教というのは、このサイクルから抜け出すための解脱・悟りの方法論のことを言いますが、悟りを開いていない我々は、未だ六道の輪廻の中にあります。

では六道にはどんなものがあるのか。
天道、人道、修羅道。このへんはまだマシです。
天道は、天人たちの世界。でも天国ではありません。楽しい世界なのだけど、いつか死を迎えます。寿命があるんです。ここが天国と違う。
人道は、人間のこの世界です。生老病死などの苦しみがある世界です。
修羅道は、終わりなき闘いの世界です。奈良の興福寺に有名な阿修羅がいますが、彼はここの住民ですね。阿修羅は、帝釈天と壮絶な戦いを延々と繰り広げています。その闘いの場所のことを「修羅場」と言います。
ここまででもイヤな世界ですが、こっから先はもっとしんどい世界です。

畜生道、餓鬼道、地獄道です。
畜生道は動物の世界。弱肉強食に怯える世界です。
餓鬼道は、飢えと渇きのせいでいつまで経っても満たされない世界。
地獄道は、最低最悪の世界ですね。常に獄卒(鬼)から迫害を受けて苦しめられる世界です。
こうしてみると、畜生道も餓鬼道も地獄道も、じつは、僕たちが住むこの現実の世界と、そう変わらないのがお分かりかと思います。
僕たちのこの現実は、見ようによっては、地獄でもある、と。
往生要集では、そのように書かれています。

以上が、人が死んだらどういう道筋で次の世界が決まっていくのか、です。
初七日や四十九日、一周忌や三回忌などの法事が、こうした考えがベースとなっておこなわれていることがお分かりになるかと思います。

最近では葬儀の当日に初七日を済ませてしまう繰り上げ法要が一般的になりつつありますが、そうすると、十王の裁判のスケジュールはどうなるんでしょうね? 一度、仏教関係者に聞いてみたいところではあります。

死後の世界と地獄を描いた「熊野観心十界曼荼羅」。中央の半円は人の一生。その後、右側の死天山、賽の河原、三途の川、十王による裁判を経て、六道のどれかの世界に転生する

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