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新阪急ホテルの60年


新阪急ホテル(2024.10.8)

新阪急ホテルが2025年1月4日をもって閉館します。
東京オリンピックや東海道新幹線開通に沸いた1964年に開業し、いよいよ60年の歴史に幕を閉じます。
今、フロント横には狭いスペースながらも、歴史を振り返るフォトコーナーができているので、今一度、60年の歴史を振り返っておきます。

新阪急ホテルは、開業当時の新聞広告にあるとおり、「ビジネスホテル」として誕生しました。
「特権階級向けではなくビジネスマンに使いやすいホテルを」という構想を、創業者の小林一三の死後、実現させたものです。東京の新橋第一ホテルに続いての、大阪での開業でした。

開業当時の新聞広告。「国鉄(JR)大阪駅から歩いてすぐ」と、阪急梅田駅よりも大阪駅からの利便性がアピールされている。結婚式場も最初から備えていた

昭和30年代の、建設予定地だった場所の写真を見ると、現在の梅田とは隔世の感があります。
空き地が広がり、瓦屋根の家が軒を連ねています。

建設予定地
建設中の写真を見ても、周囲の風景は今とはまったく違う

シングルルームは当時1,800円〜
ツインルームは当時は3,400円〜
でした。

シングルルーム。丸テーブルが置かれている
ツインルーム

料金表です。

開業当時から料金表も英語併記

開業当時の社章です。
昭和38年5月に阪急電鉄や系列会社の社員から募集された145点の作品の中から選ばれました。「HOTEL new HANKYU」の「H」「N」を王冠風に表像したものです。

社章

開業当時の航空写真です。周辺の芝田町には長屋が並んでいます。
「東芝ラジオ」や「アトラス毛」「ハクツル」の広告塔が見えます。

開業当時の航空写真。航空写真があること自体がすごい

僕が好きなのは、1階のロビーラウンジ「サントル」の壁面。
大阪女流画壇を代表する女性日本画家の上村松園の作品で、万葉時代を描いた美人画です。
西陣織に仕立てた宝塚大劇場の緞帳だったものが、ここに移設され、壁面を埋め尽くしています。
上品で、優雅で、大阪画壇らしい、とても素敵な作品です。

宝塚大劇場の緞帳だった上村松園の絵の西陣織

跡地はどうなるのでしょう?
跡地には、外資のホテルが建つ、阪急系の新しいホテルができる、いやいや新阪急ホテルがリニューアルすると、いろいろ話が浮上しては消えしてきました。
今のところ、まだ確たる計画は決まっていないようです。

60年間、お疲れさまでした

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