Turning Point 〜小学校
誰しも自分の人生に影響を与える大きな出来事やきっかけがある(はず)。
私も多かれ少なかれ、そんな場面に出来わしながら生活してきたし、
そんな転機がなければ、おそらく今の仕事はしていないし、
移住まで考えることもなかっただろうと思う。
良い機会なので、本当に自分の記録のために
そして自己満足のために、
記憶を遡ってみることにした。
母方の祖父の存在
人になぜ音大に行ったんですか?と聞かれたときには、
いつも小学校の吹奏楽部の話からスタートするのだけど、
最近ふと、もっと前にきっかけがあったことを思い出した。
母の実家は大阪の岸和田にあった。
それほど多くは帰っていなかった気がするが、
1年に数度は顔を合わせていた気がする。
母の実家には、当時では珍しく真黒の画面に緑のアルファベットしか表示されないパソコンがあったり、
いろんな機器が置いてあって、子供心に行くのが楽しみだった。
もういつだったかは全く覚えていないが、
祖父から黄色い大きなケースをいくつかもらった。
クラシック音楽のベスト盤のようなもので、
今ではほとんどみないカセットテープだった。
自分が興味を示したのかも覚えていないが、
おそらく興味を示して、欲しいと言ったのではないかと思う。
祖父はクラシック音楽が好きだった(と聞いている)。
小学生で吹奏楽部に入ったのは4年生のとき。
祖父は私が小学校2年生のときに他界しているので、
その前にもらっているはずなので、
実は素地がもうここにあったのかもしれない。
このテープを良く聞くようになるのは、中学に入ってからなのだけど、
CDを自分でバイトして買うようになった大学生になるまで、
文字通りすり減るほど聞いた。
音楽の先生(小学校)
通っていた千葉県内の小学校では、4年生になると部活に入ることができた。
クラブ活動とは別もので、中学、高校にあるような部活だった。
4年生になったとき、仲の良かった数人でどこに入るかを話し合っていた。
詳細は覚えていないが、結果、吹奏楽部にしようと話がまとまった。
動機は至って男子そのもの。
美人の先生が指導の担当だったからだ。
その先生は毎朝バイク(多分ナナハン)にライダースーツで出勤し、
ヘルメットを外すとロングの黒髪がさらっと風になびく.....
子供心に、憧れていたのだ。
一応やるなら、トロンボーンが良いと思っていたが、
先生に「ルイージ君はユーフォニアムでもいいかな?吹くところの大きさは一緒だから。」
と言われて、ふたつ返事していた。
ただ楽器に空きがなかっただけなのだが、
この一言がきっかけで、音大にまで進むとはこの時は知る由もなかった。