Luigi家にとっての9月
私の家系にとって9月は非常に大事な月。
母の誕生日
このNoteをUPしている9月7日は、母の誕生日。
生きてれば66歳になります。
7年前の7月11日に大腸がんでこの世を去って、
昨年7回忌。
今年はコロナの影響で、7月の命日の墓参りも
8月のお盆も、そして誕生日にも何もできずですが、
長野から、お墓のある神奈川に向かって手を合わせました。
母の癌が見つかったのは、春先。
もともと、腎不全で人工透析をしていたにも関わらず、
健康診断ではなにも見つからなかったのですが、
急な腹痛と下血を伴い、病院に運ばれてそこで判明。
すでにステージ4
末期の状況で、緩和ケアしかできない状況でした。
発覚した時に、本人が余命を聞いたのですが、
その時に先生が、
「確率は確かに出せるが、あなたにとっては、0か100かなので、
何か月というのは、言いようがない。
あなたが生きたいと思うかどうかです。」
と言っていたときに、この先生に任せるべきと思ったのを覚えています。
あまりにも進行が早く、発覚して3か月ほどであっという間に逝ってしまい、
しかも、病院からそろそろ、家族でも看病をしていよいので、
病院に泊まってください。と言われたその日に、
我々に気を遣うように眠りました。
最後まで弱音を吐かなかった強い母でした。
祖母の誕生日
私も会ったことがないのですが、
祖父が早くに亡くなったので、5人の子供を一人で育て上げた祖母。
祖母の誕生日が9月8日。
そう、母の翌日。
偶然。
いつも、孫にお小遣いをあげたがる祖母。
年末年始、お盆、たまたま遊びにいっても、いつもいつもくれた祖母。
入院しているときも、枕元から財布が出てくる。
おこづかいをもらいに行ったわけではまったくないのですが、
本当に何かをあげないと気が収まらない。
ふとっぱらな祖母でした。
明日、祖母のお墓に向かった手を合わせます。
妻の誕生日
長野の移住を後押ししてくれた妻。
埼玉の秩父の出身で、出会った頃は、
都会に出たいと言って、横浜に居を構えたにも関わらず、
秩父よりものどかなところに移住することになったのは不思議なところ。
でも、子供のこと、家族のことを第一に考えている
自分よりも家族優先の妻。
妻の誕生日はなんと9月9日。
そう。母と祖母と妻で
9月7日、8日、9日と連続している。
本当に偶然。
最近、転職をして新たなチャレンジを始めました。
移住を決めて、免許を取りに行ったり、
本人は気づいていないですが、相当の頑張り屋さんです。
そのせいで気疲れしてしまうこともあるので、
ちょっと心配ですが。
妻も楽しみにしていた新居の引っ越しが誕生日には間に合わなかったのが
ちょっと心残り。
ちなみに、
妻の弟(義理の弟)の誕生日が10月13日
うちの長男が10月14日
私の弟が10月16日
とこちらも実はニアミス